めかかうな大人のおとぎ話

時代背景30年ほど前の少々大人のアクションラブコメディ小説です。

暗殺者 − メシア – 19

19

 

夢の言葉を聞いて顔を輝かせたのは、もちろん早川だった。
「そうかぁ〜決心したかぁ! そりゃそうだな。元々そうなることに決ってたんだから。僕と君との結婚は昔から決ってたんだ。なるようになっただけだからな。まぁ良かった良かった。」
すっかり浮かれている。まるで欲しいものを手に入れた子どものようだ。
たぶん飽きるのも同様、子どものように早いのだろう…。
そんな早川の脇で、沖田は面白くない顔をしていた。
吉良を殺す前に話が済んでしまうのは予想外。
このまま 吉良を生かしておくなんて、とんでもない話だ。
少し考えた後、沖田は歪な笑みを浮かべて言った。
「早川さん。口約束で安心しちゃっていいんですか? 僕なら不安だなぁ。だって夢さん、吉良さんのことを誰よりも愛してるんですよ。だから、嫌な結婚話でも受けたわけでしょ? 大切な吉良さんの為に。つまり夢さんの心はあなたには全くないってことですよ。」
早川の顔が曇る。
「…それはそうだが。…一体どうすればいいんだ? 吉良を殺すか?」
「それじゃあ駄目でしょう。そんなことしたら、夢さんは死んでもあなたの言うことなんか聞かない。だから証拠をもらってはどうです? あなたを一生愛する…いや、忠誠を誓うっていう証拠をね。」
沖田が何を言いたいのか、夢にはさっぱり分からなかった。
(ここで婚因届けにでもサインでもさせようっていうのかしら…?)
そんなことより今は吉良のことの方が気に掛かる。
どんどん吉良の体から、生気がなくなってきているように見える。
脇腹の傷口から流れる血が足を伝って落ち、コンクリートの地面に血溜まりを作っている。
顔色も悪い。
早く病院に連れて行かなければ、本当に吉良は死んでしまう…!
その時、沖田がやっと具体的な話をした。
「この場で夢さんに、夫にしか見せないような姿になって貰うっていうのはどうでしょう? 僕達証人の前で目に見える形の忠誠を誓って貰うんです。その姿をビデオにでも撮っておけば、かなり「使える」証拠になりますよ。どうです?」

証拠ビデオの収集が沖田の常套手段なのだろうか。

沖田は手慣れた様子で上着の内ポケットから、コンパクトビデオカメラを取り出して見せた。
突拍子もない提案に夢は言葉を失った。
結局、沖田は何がなんでも吉良を殺す気なのだ。
だから無理難題をわざと夢に突きつけ、そして、吉良をとことん苦しめて最後に殺す。
沖田は只、吉良の死ぬまでの苦しむ姿を楽もうとしているだけだ。
それが分かっていても、夢には対抗する術がなかった。
「この野郎…! お前…やっぱり…この間のこと だいぶ根に持ってやがんな…! ふざけやがって…!お前は俺を殺してぇだけなんだろが! だったら…余計なことばっかりしてねぇで早く殺れ‼︎ ちんたら揺らしたりしなけりゃ、もちっと まともに頭なり、心臓なり狙えんだろっ‼︎ 早く殺せっ‼︎ 夢に絡んでんじゃねぇっ‼︎」
苦しそうに肩で息をしながら吉良が叫んだ。
それを沖田はニヤニヤ笑って受け流す。
「嫌ですね。これからが面白くなるっていうのに。僕も目の保養をしたいですしね。…それに放っておいても、あんたは もうすぐ死ぬ。別にとどめを刺す必要もないでしょう。」
「だったら…!」
言いかける吉良を遮って、沖田は夢に向って言った。
「だったら…。どうせ死ぬんだったらって、夢さん、吉良さんのこと見捨てられますぅ? 出来ませんよね。とどめを刺されていなければ助かる可能性はあるわけですから…。早くヌードショーを始めちゃえば、吉良さんの助かる可能性が増えるんですよ、夢さん。」
沖田の話を聞いていると、それが正論に思えてきてしまう。
それしかないような気がしてくる。
素直に沖田の言いなりになりそうな夢を、慌てて吉良が止めた。
「アホか、お前はっ‼︎ お前が言うこと聞いたからって、こいつは俺を生かしちゃおかねぇ! 見え透いたやり方だろがっ‼︎ お前は、いいように使われるだけなんだっ‼︎」
(そうかもしれない…でも…)
「夢さん。どうしますか? 自分可愛さに吉良さんの命あっさり諦めますか? それとも僅かでも可能性に賭けますか?」

「私は…」
「夢。迷うことはない。君が言うことを聞くなら、僕が責任を持って吉良くんを助けよう。」
早川が調子のいいことを言う。至って怪しいものである。
「だから、夢…」
夢の上着に手を掛ける早川を、夢は勢い良く払い退けた。
そして、吉良を真っ直ぐに見つめた。
吉良を想う気持ちで瞳が熱く揺れている。
もう迷わない。 決意を固めた目だった。
「…そのくらい自分で出来るわ。」
きっぱり言って、夢は、上着を脱ぎ捨てた。

 

 

沖田が黒服の男の一人にビデオカメラを手渡す。
「撮影スタート! 顔と全身がしっかり映るアングルでヨロシクね!」

黒服の男は、戸惑いながらもビデオカメラを作動させ、沖田の指示通り動画撮影を始める。
「夢っ‼︎ やめろっ‼︎ お前、正気かっ⁈ そんなことしてみろ! お前は そいつらに一生縛られるどころか食い物にされちまうぞっ‼︎ そんなことされて俺が喜ぶとでも思ってんのかっ⁈ 俺は…俺は…そんな安い女なんて 絶対 お断りだっ‼︎ おい!夢!聞いてんのかっ⁈」
吉良が喚き散らす。
それでも夢は静かな目を向けて言った。
「あなたの命は安くなんてないわ。私にとって…すごく大切なものだもの。だからこれは、全然安くない。」
「へ理屈言うなっ‼︎」
何を言っても無駄だった。夢の決心は固い。
夢は目を閉じて、ブラウスのボタンに手を掛けた。
手が震えて上手く指先が動かながった。
それでも1つめ、2つめ…ボタンは確実に外れていく。
胸元がすうすうして何だか心細い気分になる。
目を閉じていても、目の前のカメラや周りの視線が肌に突き刺さる。
望がこの場にいないことを祈りながら、夢は一気にブラウスを脱いだ。
ブラウスが血で肩の傷口に張りついて、それを剥がすと痛かった。
でも大した痛みには感じない。たぶん、そんな余裕がないからだ。
夢は更に固く目を閉じて祈る。
(お願い…神様…。私、我慢します。…だから…だから吉良さんの命だけは助けて…! お願い…‼︎)
「やめろっ‼︎ 夢っ‼︎ 夢〜っ‼︎」
その時、吉良の体がガクンと沈んだ。

クレーンが勝手にどんどん下がっていく。
夢に気を取られていた男達は一様に驚いた。 何事かと騒ぎ始める。
騒ぎの合い間、ふと吉良の目に思いがけない姿が飛び込んで来た。
ドラム缶の影に隠れて、望が手を振っているのだ。
(あいつ…! 逃げなかったのか…!)
その通り。望は逃げ出さなかった。
自分を助ける為に一人で乗り込んで来た吉良と、それから、母を見殺しになど出来ない。

そう思って、自分に出来ることを探しながら身を潜めていた。
子ども一人の力では、武器を持った大人に敵う筈がない。
まず望は吉良を自由に動けるようにする方法を考えた。
そして、目をつけたのがクレーンのスイッチ。
これを下げれば何とかなる。
大人の目を盗んで、少しずつ望はスイッチに近づいて行った。
見つかってしまったら元も子もない。慎重にゆっくりと進んだ。
そうして時間を掛けて、今やっと事を成し遂げた…というわけである。
吉良は、下がりながら伸びて行くクレーンのワイヤーを利用して、体を振り子のように大きく揺らし始めた。
その揺れが一層大きくなった瞬間、吉良の体が後方のドラム缶の影へと消えた。
「早くもう一度クレーンを吊り上げろっ‼︎」
沖田の声が飛ぶ。
動転していた男達はその声で一斉に動き出した。
沖田も銃を片手に吉良の消えた場所へ向う。
一方、ドラム缶の影へ身を潜めた吉良は、望の手を貸りて、手首のチェーンを外そうとしていた。
ロープで縛られていなかったのが幸いだった。
チェーンではロープや紐のように、しっかり結び目を絞めることが出来ない。
しかも、吉良の重みで少し緩んでいたチェーンは、望の力でも容易く解けた。
「礼はいらねえよ、おっちゃん!
望が言う。
「言わねーよ。逃げろっつっただろ! …ったく、このガキはっ! お前ら親子は人の言うこと聞かねぇとこなんか、そっくりだな! 死んじまっても責任持てねぇぞ! アホがっ!」
言葉とは裏腹に、吉良の目は包み込むように温かだった。
ドラム缶の隙間から外の様子を伺いつつ、吉良は自分のタンクトップを引き割いて脇腹に巻きつけた。
きつく縛った後、顔を歪める。
相当、辛そうだ。
望が心配して吉良の顔を覗き込む。
「大丈夫か? 痛いのか?」
吉良は少し笑って言った。
「腹に穴が開いてんだぞ。そりゃ誰だって痛いぜ。でも、ま、心配すんな。母ちゃん、助けるまでは持たせる。 死にゃあしないよ。」
「何でだ?」
「ん?」

「何で、おっちゃん、そこまでするんだ? 自分が死にそうなのに何で母ちゃん助けようとするんだ? 何で逃げないんだ? 恐くないのか?」
望の大まじめな顔。
吉良は穏やかに答える。
「お前は何でさっき逃げなかった?…たぶん、それと同じ気持ちだ。俺も。」
「母ちゃんのこと好きなのか?」
タイミングを測ったように、足元に垂れ下がっていたクレーンが動き始めた。
重そうな首を地面に擦って宙に浮き上がる。
少しずつ吊り上がって行く。
吉良は、片手でクレーンを掴みながら言った。
「お前の勇気は認める。お前は俺の命の恩人だ。でも、これ以上は手を出すな。お前が母ちゃんを守ろうとしたように、母ちゃんもお前を一番守りたいと思ってる。お前が死んで一番悲しいのは、お前じゃなくて母ちゃんだ。いいな。」
望が聞きたかった答えにはなっていない。
だが吉良はそれ以上何も言わず、望の元から飛び出して行ってしまった。
望は思う。
吉良が自分の質問に答えなかったのは、母のことが嫌いだからじゃない。
好きだからこそ答えなかったのだ。
理屈ではなく、直感的に望はそれを感じ取っていた。

沖田は銃を構えて、ドラム缶の影から出て来る吉良を待った。
今度こそ仕留めるつもりで銃を構えていた。
しかし、沖田が待っていたのは宙吊りのままの吉良であって、自分に襲いかかって来る吉良ではない。
そこに油断が生じた。

 

 

吉良はクレーンを掴んだまま、その戻りの振れに乗じて勢いよく飛び出した。
真正面に立つ沖田の顔面を、まともに吉良の蹴りが襲う。
思いもかけない攻撃で、沖田は呆気なく弾け飛んだ。
仰向けに倒れて朦朧とする沖田の手を、吉良がゆっくり、だが容赦なく踏みつける。
「えらく世話になっちまったなぁ、沖田よぉ…。」
沖田の顔から血の気が退く。
手の中の銃を押さえられて、どうすることも出来ない。
「さっ、銃を返してもらおうか。」
渋る沖田。
その手を吉良は、思い切り踏みにじった。
「うわぁ…っ!」
沖田の手から銃が離れる。
「どうも。」
吉良は銃を拾うと、起き上がらせないように、今度は沖田の額を足で押さえた。
沖田が顔を引き攣らせる。
わなわな唇を震わせて、吉良に懇願する。
「た…助けて…吉良さん。あ…謝ります。今までのこと 全部 謝ります。償いなら何でもしますから…だから…殺さないで…下さい…!」
吉良は全く無表情に、プライドのすっかり抜け落ちてしまったその男を見降ろしていた。

 

 

眼に青い光が浮かぶ。
トリガーが軋む。
「吉良さんっ‼︎ やめてぇっ‼︎」
背後から掛かる夢の声を無視して、吉良は二度引き金を引いた。
「ぐわあぁぁっ‼︎」
沖田の物凄い叫び声が、廃工場の天井にこだまする。
恐怖が辺りを包み込み、全てのものの動きが止まった。
…静寂。
やがて、最初に声を発したのは…沖田だった。
「甘いな…夢さんの…一言が…こんなに…効く…とは…ね。僕の命乞いよか…よっぽど…威力が…あ…る。当り前…か…。」
沖田の両足の太ももは、完全に撃ち抜かれていた。
しかし辛うじて命だけは助けられていた。
フンと鼻を鳴らして吉良が踵を返す。
黒服の男たちが、慌てて工場から逃げ出して行く。
「おい、ちょっと待て!お前。」
吉良に背後から呼び止められ、黒服の男の一人が凍りつく。
「さっき動画撮ってたのは、お前だな。」
震えているのか頷いているのか分からない様子で、男が何度か首を縦に振る。
「その手に持ってるカメラ、真上に放り投げてそのまま走れ。振り向かずに全力でだ。」
男がまたカタカタと首に縦に振る。
ビデオカメラが空中に放り投げられた瞬間、吉良が銃の引き金を引く。
カメラは空中で粉々に砕け散った。
全力疾走する男はギリギリのところで、カメラの残骸の雨を回避し、扉の外へと転がるように出て行った。
吉良が銃を収める。
これでタチの悪い「忠誠の証」は消え去った。
残るは早川、只一人。

 

暗殺者ーメシアー20 へ続く