めかかうな大人のおとぎ話

時代背景30年ほど前の少々大人のアクションラブコメディ小説です。

暗殺者 − メシア – 20

20


早川は真正面から、向ってくる男に怯えながら、夢にナイフを突きつけていた。

 

 

「く、く、く、来るなっ!!」
じりじり後ろへ下がって行く。
吉良は脇腹を庇い、足を引き摺りながらも歩みを進めて行った。
早川を見据えたまま、銃に弾を込める。
そこへ、ようやく望が顔を出して吉良の上着の裾を握った。
「おっちゃん。正義は絶対勝つよな。」
カシャン。吉良は銃を元の形に修めて、事も無げに答える。
「正義なんてもん程いい加減なもんはねぇ。誰だって自分を正義だと信じてる。只、勝った方だけが正義を名乗るのを許されるってだけだ。正義は勝つんじゃなくて、勝った方が正義ってことになるのさ。いいか、望。戦いにそんないい加減な言い訳はいらねぇぞ。戦うなら自分の為に戦え。自分が守るものの為に戦うんだ。正義も悪も、そんなもん知ったこっちゃねぇや。誰に何と言われようが、自分が大切だと思うものを死に物狂いで戦って掴め。くだらねぇことに惑わされるんじゃねぇぞ。」

「…う、うん。」
完全に理解出来たわけでもないのだが、望は頷いた。

分らないなりに納得した…そんな感じだ。
「それ以上、近づいたら、夢を殺すぞっ!」
早川が叫ぶ。
「夢が死ぬ時は、お前はとうに死んでる。分ってんだろ?」
吉良は更に早川に近づいた。
早川の腕の中には夢がいる。
吉良が近づき続けると、早川は構えたナイフで発作的に夢の喉を切り裂いてしまうかもしれない。
それなのに夢は不思議と恐怖を感じていなかった。
吉良を信じていれば大丈夫。
根拠のない安心感が、体中をすっぽり包んでいる。
だから夢は只ひたすら黙って吉良を見つめていた。
その時、不意に早川の気が逸れた。
足元に落ちていた工具を踏んづけたのだ。
そんな何でもないことにでも恐怖で固まっている早川は、過剰に反応してしまった。
吉良がその隙をつく。
一瞬にして、早川の手は弾丸に貫かれ、ナイフは宙に舞い上がっていた。
「うあぁっ‼︎ ぐうぅっ…‼︎」
早川が撃たれた手を抱えて辺り中を転げ回る。物凄い形相だった。
思わず顔を背けたくなる光景だ。
夢は辛そうに俯いた。
やり切れない複雑な想いが胸を締めつける。
それを庇うように、吉良は夢の頭からそっとコートを被せた。
「…吉良さん。…望。」
夢が望を抱き締める。
「母ちゃん、オレ、吉良のおっちゃん助けたんだぜ。すっげぇだろぉ!」
無邪気な望の笑顔を見た途端、涙が込み上げて来て、夢は泣きながら微笑んで言った。
「…ん。うん、そうだね。ほんと、すごいよ。本物のヒーローだね。」
「うん! でも吉良のおっちゃんの方が、もっとすげぇや! 撃たれてもびびんねぇし、最後は全部やっつけちゃうんだから、カッコイイよっ‼︎ オレも大きくなったら、おっちゃんみたいになる! ピストルの練習一杯やって、おっちゃんみたいに…」
「勘違いすんな、望!」
吉良が厳しく望のはしゃぎを抑えた。
「俺はちっとも格好良くなんかねぇ。今日はたまたま運が良かっただけだ。いつ立場が逆転してもおかしかない。俺みたいな人間の死に様なんてなぁ、体中 蜂の巣にされて、泣き叫びながら死んでいく…そんなもんさ。一つ違えば今日だってそうなってた。俺が強く見えたのは只、事が上手く運んだ…それだけだ。本当に強い人間は銃なんて持ち歩かねぇ。そんなもんなくても、生きられるヤツが本当に強くて格好良い人間なんだ。忘れんな…。俺みたいになりてぇなんて二度と言うな。」
望はしゅんとなって黙った。
しかし、黙っていなかったのは夢である。
やたらとムキになって吉良に言い返し始める。
「違うわっ‼︎ 吉良さんは弱くなんかないっ‼︎ 勝手に自分で弱いって決めつけてるだけじゃないっ‼︎ だから、銃を持ってるって言い訳してるだけじゃないっ‼︎」
夢は吉良の腕を掴んで懸命に言った。
「吉良さんは、銃なんて持たなくても十分生きられる人ですっ‼︎ だって、さっき私なんかの為にあっさり銃を捨てちゃったじゃないっ‼︎ 本当に銃がないと駄目な人なら、そんなことしなかった筈よっ‼︎ 吉良さんは弱くないっ‼︎ 絶対、強くて優しい人だよっ‼︎」
夢の熱い一言一言が、吉良の胸に染みる。
氷のように冷たく凍りついていた心が、少しずつ少しずつ溶けていくようだ…。
不意に吉良の頭の中から絡みつくしがらみが消えた。そして、抑え込んでいた素直な想いが、思いもかけず口をついて出た。
「あの時、捕っていたのがお前じゃなかったら、俺は銃を捨てたりしなかった。お前だったから俺は銃を捨てられたんだ。俺は…俺は…お前のこと…」

突然、吉良は脇腹に激痛を覚えて、思わず蹲った。
「く…そうっ!」

吉良の脇腹を直撃したスパナが、足元で金属音を立てる。
もちろん早川の仕業だった。

望が早川に羽交締めにされる。
早川は3人の隙を窺っていたのだ。
「夢っ‼︎ こっち来いっ‼︎ お前は俺のもんだっ‼︎ 誰にも渡さんっ‼︎」
早川の左手には、さっきのナイフが戻っている。
それを望に突きつけて、早川は夢を呼んだ。
正気を失ったように変貌している早川。
夢はゾッとした。
本当に望が殺されてしまう。今の早川はそう感じさせるような空気に満ちていた。
「早く来るんだ夢! 子どもを殺すぞ!」
行かなければ殺される…!
夢は吸い寄せられるように早川の元へ向おうとした。
その腕を吉良ががっちり掴む。
「行くな! あいつ正気じゃない。行けば、お前も殺られるかもしれねぇ。」
「でも、望が…!」
「早川っ‼︎」
吉良が唐突に早川に呼び掛けた。
「お前、本気で望を殺す気かっ?」
吉良が問う。
何を言うつもりなのだ…。
「やめとけ、後悔するぞ…。そいつはお前の…」
「やめてっ‼︎」
溜まりかねて夢が叫ぶ。そして夢は不安気に吉良を見上げた。
吉良の胸を押さえる手の指先が震えている。
「望には、知られたくないの…。あんな人が父親だなんて…。だから、お願い、やめて…!」
出来る限り押し殺した声に夢の悲痛な想いが溢れていた。
吉良は黙って夢の震える手を強く握った。
そうしておいて、何を考えているのか分からない表情の顔を上げる。
「望はお前の息子だ。」
吉良は言った。
残酷な告白をいとも簡単にやって退けた。
「吉良さん!」
夢が顔を伏せる。 …どうしていいか分らない。
早川との過ちに対する後悔が全身に渦巻いた。
でも、それを後悔すれば望を否定することになる。
後悔したくても出来ない。後悔したくなくてもそうなってしまう。
夢は、どうすることも出来ずに、ただ俯いていた。
「…ほ…本当なのか…? 母ちゃん…。こいつが…オレの…親父って…」
聞かれたくない問いが夢の背中を打つ。
辛い。 …しかし、もう逃げるわけにもいかない。
事実を答えてやることが、望を一人前だと認めることなるのかもしれない。
もしかしたら吉良も同じことを考えたのだろうか…。
「望、聞いて…。母ちゃんは…」
夢が言い掛けた時、いきなり早川が笑い声を上げた。
「バカバカしい。そんな作り話を俺が信じるとでも思ってるのか? そう言えば、俺がこのガキを殺さないとでも思ったか。 …まあいい。そういうことにして一緒に育ててやってもいいから早くこっちへ来い。どうせ家を出てる間ろくでもない生活をしてたから、父親が誰かも分らんのだろう。だから俺が父親と言うことにしておきたい…そうだろう? 寛大に受け止めてやるから早く来い!」
頭上に雷が落ちて来たのかと思った。
夢はそのくらいのショックを受けた。
…信じられない。…許せない。この男だけは絶対許さない!
夢はゆっくり振り返って、意外なほど静かに言った。

「…私、犬や猫じゃないのよ。父親が分らないってどういうこと…? 私を何だと思ってるの?…あなたは。私が…望を生んだのは…あなたの子どもだったからよ。憎んでも憎み切れない男だった。 …でも…でも、あなたの子どもじゃなかったら、私…きっと…。それなのに…。私、ずっと待ってた…。あなたを憎みながら、それでもいつかあなたが私を捜し出して迎えに来てくれるんじゃないかって…バカみたいに待ってた…。その時は、きっとあなたを許してあげるって…そんな夢みたいなこと…考えてた。でも、あなたは違ったっ! あなたは…私が心の奥で…信じてたような人じゃなかった‼︎ 平気で私を裏切った…あの時のあなたが本物のあなただった‼︎ 許せないよ…私…。望までバカにするようなことを言った…あなたを…絶対、許せない。」
夢は真っ直ぐに早川に向って進んで行った。
光も透さないような悲しい瞳。
吉良でさえ止めるのをためらう迷いのない足取り。
その心は完全に、悲しみで閉ざされてしまっている。
「ゆ…夢…。」
呼び寄せたはずの早川が、怯んで身を引く。
夢は早川の前で足を止めると、望に向けられたナイフを無雑作に掴んだ。

 

 

「ひ…ぇ…っ…」
早川が声を上げる。
夢はナイフの刃の部分を思い切り鷲掴みにしている。
手の隙間から真っ赤な血がにじみ出す。
早川は、恐ろしくなってナイフの柄を離した。
自分に勝てない筈のない相手にすっかり飲まれてしまっている。
夢は早川から望を引き剥がすと、ナイフを持ち直した。
柄の部分をしっかり握って目を上げる。 暗い瞳には、悲しい涙が光っていた。
憎しみではなく、悲しみとやるせなさを湛えた涙だった。
夢の手のナイフが一旦退かれる。
そして、それを突き出しながら夢は一気に早川にぶつかって行く。
早川との決着を自分の手で着けるつもりだった。
…だが。
ナイフが早川に到達するより、一瞬早く、早川の動きは止まっていた。
そのままゆっくり仰向けに倒れて行く。
夢はナイフを握りしめ、その様子を茫然と見送った。
「ほ…本当…だったのか…?」
中途半端な最後の言葉を残して、早川が事切れる。
額についた弾丸の跡からは、赤黒い染みが広がっていった。

 

 

嘘のように呆気なかった。
こんなに簡単に人が死んでしまうなんて…。
夢も望も初めて目の当りにした人の死をなかなか現実のものとして受け入れられずにいた。
「吉良さん…何故? どうして、あなたが…早川さんを…」
まだ ぼんやりとした表情で夢が訊く。
「別に、理由なんかねぇ。しいて言やぁ殺し屋だから…かな。」
銃を納めながら吉良はあっさり言った。
「そんなことより、早くここから出るぞ。明るくなると人目についちまう。」
夢の手から握ったままのナイフを取り上げて、吉良はさっさと出口へ向かう。
夢と望も慌てて後に続いた。
工場の重い扉の外は、もう既に薄明るかった。
昨夜は見えなかった建物の輪郭が、淡い紫色になって浮かんでいる。
夜明けの透明な空気に悪い魔法が解けていく。
夜は終ったのだ。
廃工場を後にしながら吉良は一人呟いた。
「それにしても沖田のやつ…。何処に行っちまったんだ…? あの足で逃げるなんて…あいつ本気で根性あるなぁ。」

 

暗殺者ーメシアー21 へ続く