めかかうな大人のおとぎ話

時代背景30年ほど前の少々大人のアクションラブコメディ小説です。

暗殺者 − メシア – 18

18


「君は僕と結婚するんだ。」
早川が言う。

『してくれ』でも『して欲しい』でもなくて『するんだ』…?
夢は、あ然とした。
(何言ってんの? この人、頭おかしくなっちゃったんじゃないの? 今更…しかも こんな状況でプロポーズはないでしょ…。)
しかし事はそんな生優しいものではないらしい。
「君は僕と結婚する義務がある。」
『権利』と言われても放棄したいところだが、早川は『義務』だと言っている。
更にタチが悪い。
一体どういう意味なのだろう。
「君の我儘のせいで僕は酷い目に合ったんだ。これは君の僕に対する償いさ。」
何なのだ…! 何を言っているのだ…この男!
むしろ、この男のせいで酷い目に合ったのは夢の方である。
「ちょっ…ちょっと待って! 早川さん。私、あなたの言ってること、全然 意味が分らないんですけど…」

「放っとけ、放っとけ! イカれたヤツと真面目につき合ってると、お前まで おかしくなっちまうぞ!」
高い所から、吉良の突っ込みが入った。
全くコリない男なのだ。
早川が物凄い勢いで吉良を睨みつける。
「ね、ねぇ、早川さん。話を進めましょ。で、どうして私があなたと結婚しなくちゃいけないの?」
急いで、夢は早川の気を逸らせた。
落ちついて話もしていられないではないか。
「私を殺そうと思ってたんじゃなかったの?」
質問を重ねる。
やっと気を取り直して早川が話し始めた。
「そうだ。君を殺して神崎に復讐するつもりだった。」
「復讐…っ?」
「君は知らないだろうが…。君が女のことぐらいで家を出たりするから、僕は神崎の怒りを
買ってしまってね。会社を追い出されたんだ。酷い話じゃないか…。親バカもいいとこさ。」
早川は、自分のことを棚に上げておいて、夢の父親のことを激しく恨んでいるらしい。
「そこで僕は僕の握っていた神崎財閥のトップシークレットを手土産に、神崎のライバル・コンツェルンに入り込んだ。だが神崎はそのくらいのことでは大したダメージを受けやしない。悔しかった。悔しくて、悔しくて、何か復讐の手立てはないかと随分考えた。そして思いついたのが君を殺すこと。本人を殺すよりも、精神的ダメージが大きい筈だからね。どうだい? いい考えだろう。」
夢には得意気に微笑む早川を理解することは出来なかった。
異状者だとしか思えない。 …でも。
早川は夢の家出の原因を『女のことぐらいで』だと言った。
だが夢は『会社をクビになったぐらいで』人殺しを考える早川の方がどうかしていると思う。
きっと、絶対に理解し合えない部分で価値感の違いがあるのだ。
夢にとって、あの日のあの出来事が人生を変えてしまう程の重大事件だったように、早川にとっては、会社をクビになったことが人殺しに値するくらいの大問題だったのだ。
だから、早川だけが異状だとは言い切れない…のかもしれない。
そう考えることで、夢は早川を愛した昔の自分を少しでも慰めたかった。
「それが どうして 私と結婚するって言う話になっちゃうの?」
夢が訊く。
早川はちょっと笑って、あっさり答えた。
「気が変ったのさ。」
「……?」
「沖田くんには、吉良くんの様子を探る為に下宿に一緒に入ってもらってたわけなんだが、その報告の中に 当然 君も出て来てね。そこで僕は君が変ったのを知ったんだ。情報の中の君は実に生き生きと輝いていた。人形のように周りの言いなりの昔の君とは全く違って、とても魅力的になっていた。だから、殺すのが惜しくなったのさ。会って、ちゃんと確かめて、本当に君が僕の妻にふさわしい女になっていたら、結婚しようと思った。そして、神崎財閥を手に入れる。形は変るが僕の復讐は、まぁ、ほぼ達成されるってわけさ。」
流し目加減に、早川が夢を見る。
昔の夢なら、胸がときめいていたところなのだろうが、今の夢には悪寒が走った。
そこのところの違いも分ってくれれば幸いなのだが....。
「君は合格だ。結婚しよう。」
早川が当り前のように言ってのける。
いい加減、夢の我慢は限界だった。いくら何でも話が理不尽過ぎる。
考え方を変えたぐらいでは、とっても この怒りを鎮めることは出来ない。
「ふざけないでよっ! 何で 私が あんたなんかと結婚しなくちゃならないのっ? どうして私があんたの復讐の片棒を担がなきゃいけないのよ‼︎ 脳ミソ沸いてんじゃないのっ⁈ あんたと結婚するくらいなら、ジャングルにでも行って、そこの猿と結婚した方がマシよ‼︎ 雄猿の方がよっぽど男らしいわっ! あんたなんか猿以下‼︎ 猿以下の人でなしよっ‼︎」
(おいおい…そこまで言うか。完全に切れてんな、あいつ。)
今度は吉良の方が、冷や冷やしている。
「それでも君は僕のものになるしかないんだ。あの男を死なせたくなければね…。」
早川は冷淡な笑みを浮かべて言った。
ハッと夢が口を噤む。
(卑怯者‼︎)心の中で叫んだ。

「猿以下の男と結婚しなくて済むのなら、あの男の命なんかどうでもいい…そう思うなら、それでもいいよ。君は帰っていい。僕も男だ。これ以上、君を追いかけ回したりはしない。諦めるよ。約束する。さぁどうするかな?」
夢が吉良を見捨てられる筈がないのを知っているからこそ、こんな寛大なことを言っているのだ。
早川の表情にそれが有り有りと現れていた。
悔しい。しかし、言い返せない。
でも、だからと言って、簡単に早川の言いなりになることもしたくない。
夢は黙って唇を噛み締めた。
見兼ねて吉良が言う。
「せっかくのお言葉だ。さっさと帰っちまえよ。こういう我儘坊主には、今のうちに何でも自分の思い通りになるもんじゃねぇってのをお教えとかないとな。ろくな大人になれねぇ…あ、もう手遅れか。」
「…何だとぉ?」
どうやら吉良は、人を殺すことよりも人を怒らせることの方に才能があるらしい。
「沖田くん! この減らず口を何とかしてくれないかっ? 話が出来んっ!」
「了解。僕も退屈してたとこですよ。」
沖田は明るく応じて、黒服の男達に声を掛けた。
「少しだけクレーン下げて、吉良さんの体揺らして貰えますぅ?吉良さんの忠告通り、僕、銃の練習しとかなくちゃ。」
夢の背筋に冷たいものが走り抜ける。
「お…沖田さ…ん…」
「ああ、夢さん。吉良さん助けたくなったら早目に言って下さいよ。僕、銃の腕が確かじゃないから、いつ心臓に当っちゃうかも分りませんからね。もし間違って当っても僕のこと恨らまないで、すっぱり諦めちゃって下さいよ。それも運命ってことで。」
最初から、他の所など狙うつもりはないのだ。
沖田は、揺れる吉良の心臓を的にして、射的ごっこを楽しむつもりだ。
クレーンが下がる。
そして、男たちが力一杯吉良の体を揺らし始める。
「冗談…やめて…そんな…嘘でしょう…? 吉良さんは…沖田さんも…今まで一緒に仲良く暮らしてて…それなのに平気で…こんなこと…」
声が震えて、口も上手く回らなかった。
夢は、撃たれた傷の痛みと恐ろしさの為に、力の入らなくなっている手で、精一杯沖田の腕を掴んだ。
「やめて!」
「何だったら、夢さんも練習してみる?」
沖田が笑う。
そうしながら、あっさり銃の引き金を引いた。
「うっ…‼︎」
吉良の横面に赤いラインが走る。

 

 

「ヘタくそっ。何処 狙ってんだよ。」
あくまでも態度を改めようとしない吉良。まさに自殺行為である。
「いやぁっ‼︎ やめてぇっ‼︎」
夢が必死で沖田にしがみついた。
たとえ吉良が死にたがっているとしても、そうはさせられない。
お涙の溜まった瞳を上げて夢は言った。
「分ったわ。分ったから…もう…やめて。お願い…。私…私…早川さんと…」
「黙れっ‼︎ 夢っ‼︎ いい加減な戯言は止めろっ‼︎ こんなことぐらいで、お前、一生そいつに縛られるつもりかっ⁈ 俺が死のうが生きようがお前には何の関係もないっ‼︎ 俺みたいなヤツは ここで死ななくても、どうせ ろくな死に方しやしねぇ!! そんなことは最初(はな)から分り切ってることなんだっ‼︎ だから俺に構うなっ‼︎」
パシュウ‼︎
「うわぁ…っ‼︎」
さすがの吉良から叫び声が漏れた。
弾がまともに脇腹に命中したのだ。
「くぅっ…!」
苦しそうに顔を歪める。
黒のタンクトップが見る見る濡れたような色に変色していった。
「吉良さんっ‼︎」
「早く…帰っち…まえ…。」
それ以上は声にならない。
額から汗が吹き出し、唇も色を失くしている。
放っておいたら吉良が死んでしまう。
夢は大声で言った。
「私、早川さんと結婚しますっ‼︎」

 

 

ガランとした工場に響く声が胸に痛い。
でも仕方がない。
吉良の命にはかえられない。
「ばかやろう…夢…」
力なく掠れた声で吉良は言った。

 

暗殺者ーメシアー19 へ続く