めかかうな大人のおとぎ話

時代背景30年ほど前の少々大人のアクションラブコメディ小説です。

暗殺者-メシア-21

21


工場地帯の出口に着いた頃には、もうすっかり辺りは朝に包まれていた。
数少ない木の上でスズメの声も聞こえる。
暗さに慣れた目に太陽が眩しい。
「ここまで来れば車も通る。しばらく歩けばタクシーだって捕まるだろ。後は、お前ら二人で行け。」
吉良が妙に明るい調子で言った。
「何、言ってるの? 吉良さん。」
夢と望は驚く。
「一緒に行って早く病院で診てもらわなくちゃ! 重傷なんだよ!」
「そうもいかねぇ。」
きっぱりした返事だった。
「俺はまだ戻って後始末しなくちゃならないし、それに鉛の玉が入った腹、普通の病院で診てもらうわけにいかねぇだろ。お前と同じ病院には行けないよ。心配すんな、こっちは適当にやる。だから、お前らは今日のことは全部忘れて下宿へ帰れ。」

吉良は目が合うのを避けるようにさっさと二人に背を向けた。
もう帰って来ないつもり…? 夢の胸に冷たい予感が走り抜ける。
「ついでにあなたのことも忘れろって言うの…?」
否定して欲しかった。
不安で恐くて仕方なくて、だから否定して欲しくて言った言葉だった。
しかし、吉良にとっては助け舟でしかなかったのかもしれない。
言い出しにくい言葉を夢が代りに口にしてくれた…そんなところだったのかもしれない。
吉良は短く言った。
「そうだな、そうしろ。」
あまりにも素っ気ない答え。
夢は喉元に熱い固まりが詰まって声も出せない。
「何でだよぉっ‼︎ なんでそんなこと言うんだよぉっ‼︎ お前、母ちゃん見捨てるつもりか? 母ちゃん一人にするつもりかよ? 母ちゃん泣いても平気なのかよぉ‼︎ ひでぇやっ‼︎ おやじ汚ねえぞっ‼︎」
吉良の腕を引っ張り回して望が叫ぶ。
しかし吉良はそんな望を疎ましそうな目で見て言った。
「俺は人を殺すのが仕事なんだ。だから いつまでも ちんたら一カ所に居るわけにいかねぇ。そんなことぐらい、ガキでも分るだろーが。」
「分かんないよっ‼︎」
今度は夢が声を上げる。
「そんな仕事、辞めちゃえばいいじゃないっ‼︎ 辞めようと思えばいつだって辞められるわっ! 吉良さんなら他にいくらでも出来ることあるよっ‼︎」
吉良は顔を背向けたまま何も答えない。
それでも夢は言った。
「そうよ…! 童話を書けばいいじゃない…! 吉良さん童話作家なんでしょ? だったら…」
「出任せに決ってんだろっ! そんな話! 何処までも めでたい女だなぁ、お前はっ‼︎」
口が荒くなる程に吉良の表情はどんどん辛そうになっていく。
「行くなよっ‼︎ おっちゃんっ‼︎ 一緒に帰ろーよっ‼︎ オレ寂しい…よ。そんなこと いっぺんも思ったことないけど…。オレ、おっちゃん居なくなったら寂しいよぉっ‼︎ だから一緒に帰ってくれよっ‼︎」
望の言葉が痛い。だからといって、ここで折れるわけにはいかない。
自分が傍にいても二人を不幸にするだけなのだから…。
吉良は大声で望を怒鳴りつけた。
「いい加減にしろっ‼︎ 望っ‼︎ いつまでも聞きわけのないこと言ってんじゃねえっ‼︎ 俺を本気で怒らせんなよ。俺は人殺しなんて何とも思ってない人間だ。気に入らなきゃ誰であろうと構わず殺す。お前の親父を殺したみたいにな…。」
(吉良さん…)
「嘘よっ‼︎ あなたは、あの人のこと気に入らないから殺したんじゃないっ‼︎ あの時、あなたがやらなければ私が…」
「黙れっ‼︎」
夢の言葉を吉良が激しく遮る。
夢は驚いて口を噤んだ。
こんな悲しい優しさは、見たことがないと思った。
自分が傷つくことで他人を守るなんて…悲し過ぎる。優し過ぎて悲しい…。
夢は痛々しい想いで吉良を見つめた。
不意に望が低く呟く。
「あんなの親父なんかじゃない…。オレには初めっから母ちゃんしかいないんだ…。」
そして吉良に向って言う。
「オレの父ちゃんは母ちゃんの好きなヤツなんだ!」
けなげな少年の瞳。
もちろん吉良は望の言いたいことが分らなかったわけではない。
胸が苦しいくらい熱くなった。このまま一緒にいられれば…そんな思いが胸を過ぎった。
…しかし。吉良は全てを黙殺して、冷たく言い放った。
「じゃあ母ちゃんに良い父ちゃん探してもらうんだな。」
そして笑顔を浮かべて言う。
「あんまりゆっくりもしてらんねぇから、もう行くわ。お前ら元気でな。」
軽く手を上げながら歩き出す。

 

 

(…もう、これっきり会えないの…? そんな…そんなの…嫌。そんなの絶対に嫌っ‼︎)
夢は吉良の背中に向けて、涙だらけの言葉を投げ掛けた。
「吉良さん、あの時、何て言い掛けたのっ⁈ 私のこと…何て言おうとしたのっ⁈ ちゃんと言ってっ‼︎ それが聞けたら…それだけ聞いたら…私、待ってるっ‼︎ 私いつまでだって吉良さんが帰って来てくれるの待ってるっ‼︎ ずっと待てるから、だから…吉良さんっ‼︎」
口候まで出かかった言葉を吉良は飲み込んだ。
待たせるわけになどいかない。何の証しもない約束は出来ない。
血塗れた手で、夢を受けとめることなど決してしてはならないのだ。
「何か言ったか?…忘れちまったな。」
吉良は振り向きもせずそう言うと、足早に立ち去って行った。
それ以上、吉良を引き止めることは出来なかった。
孤独な、しかし厳しい後ろ姿がそれをさせまいとしていた。
吉良の背中には彼の生きざまそのものが映し出されているのかもしれない。
「吉良さん…。」
夢は呟く。感謝と、そして押さえても押えても溢れ出す出す切ない想いを込めて…。
「…ありがとう。」

 

その後、吉良がどうやって"後始末"というものをやって退けたのかは分らないが、新聞にあの夜の事件が載ることはなかった。
下宿は平穏な日常に戻った。
沖田も、そして吉良も居なかった前のままの下宿に…そう、戻っただけだ。 何も変らない。
夢は早川の件で、実家の様子が気に掛かり、7年ぶりに実家に連絡を取った。
父と母は意外な程、夢たち親子を暖かく迎え入れてくれ、それ以来、夢は望を連れて実家に出入りするようになった。
しばらくして、母がこっそり夢に打ち明けた話に寄れば、富士見トキは、父の昔からの知り合いで、当然 夢の情報は全て両親の耳に入っていたらしい。
どうりで自然に望を受け入れてくれた筈だ。
父にしてやられたといった感じである。
もしかしたらトキが夢に声を掛けたのも、父の差し金だったのかもしれない。
まぁ今さら蒸し返しても仕方がないので、夢は敢えて突き止めようとはしなかった。
とにもかくにも両親と仲直り出来て良かった。
いつまでも 絶縁状態というのも気が重かったのだ。
こうして、実家に出入り自由になった夢なのだが、それでも実家に戻ってしまうことはしなかった。
それ以降も、ずっと下宿の賄いを続けている。
夢はこの仕事が気に入っていた。だから辞めるつもりなど、さらさらない。
…と、表向きはそうなっている。
しかし、決して理由はそれだけではない。
いや…と言うより、別の理由の方が大きいのだ…夢にとっては。

 

暗殺者ーメシアー22 最終話へ続く