めかかうな大人のおとぎ話

時代背景30年ほど前の少々大人のアクションラブコメディ小説です。

暗殺者 − メシア – 7

 

下宿までの一本路をとぼとぼ歩く望。

見るからに元気のない足取りだった。
泣きそうな顔で一生懸命考えごとをしている。
望はさっき並木路で起った事故を 偶然 見ていた。
母が跳ねられそうになったのは、もちろんショックだった。
心臓が止まるかと思った。
だが望が 今 落ち込んでいるのは、そのことではない。
その前に見掛けた母と吉良の寄りそう姿…それが、望の心に重い影を落としているのだ。
相々傘で歩く二人は、とても楽しそうに見えた。
今まで夢が相々傘をする相手は絶対に望で、望はそれが当り前だと思っていた。
母だってそうなのだと思い込んでいた。
でも違った。
夢はいつもより楽しそうにしていた。 何だか、きれいに見える程だった。
望といる時よりも、ずっとだ。
そして、その後、事故が起きた。
吉良が夢を助けた姿は、とてもカッコ良くて、絶対、自分には真似出来ないと思った。
夢を助ける役は自分でなければならない筈なのに…。
吉良には敵わない…。
買物の荷物だって、吉良は夢の代りに全部持ってやっていた。
でも望にそんな芸当は出来ない。
夢だって望にそんな無茶はさせない。 自分が子どもだから…。
望は悔しかった。 何も出来ない自分のことが…。
それに比べて何んでも出来る吉良のことが、望は疎ましく思えてならなかった。

下宿の台所から煮物の匂いが漂っている。
いつも通りの風景。
夢は流しの前に立って夕食の準備をしていた。
しかし夢の体には、まだ力の入らない感覚が残っている。
さっきの事故のショックだった。
恐怖の余韻が拭い切れない。
いつも通り体を動かすことで、夢はそれを取り払おうと努力していた。
せっかく 買い込んだ食料を 道路にぶちまけてしまったので、今日の夕食は 結局、あり合わせのもので作った。
もう一度 戻って買物をする気には どうしてもなれない。
さすがに そこまで 平静を保つことは出来なかった。
「ご飯ですよー!」
夢は下宿中に響き渡るような声で全員を呼んだ。
二階にいる吉良と沖田はすぐに降りて来たのだが、望が出て来ない。
夢と望の部屋は、台所と木の引き戸一枚を隔てた隣りにある。
今の大声が聞こえない筈はない。  部屋にいる筈なのに…。
夢は、吉良と沖田のご飯をよそいながら、しばらく望が出てくるのを待った。
それでも動く気配すらない。
(眠っちゃってるのかしら…)
「望?」
夢が部屋の戸を開く。
望は居た。
部屋の隅にうずくまっている。
「どうしたの? お腹でも痛い?」
「ううん。」
「じゃあ、出ておいで。 ご飯よ。」
望は膝の間に顔をうずめたまま、拗ねたように言う。
「メシいらない。」
「何…。どうしたのよ。ご飯は食べなきゃ駄目よ。余計 元気なくなっちゃうから。」
腕を掴んで立たせようとする夢の手を、望は思い切り払いのけた。
「いらないって言ってるだろっ‼︎ 母ちゃんは しつこいんだよっ‼︎ いっつも そうだっ‼︎」
「…望。」
望の冷たい目に、夢はショックを受けた。
望にこんな目を向けられるなんて思ってもみなかった。
その声を聞いた沖田が、心配そうに部屋を覗き込む。
「夢さん?」
もう一度何か言おうとする夢を遮って、望は叫んだ。
「まずいメシなんか食う気しないんだっ‼︎ 放っといてくれよっ‼︎」
夢の頭に血が登った。
「何てこと言うのよっ‼︎ あんたはっ‼︎ だったら勝手にしなさいっ‼︎ 我慢して食べてもらわなくっていいわよっ‼︎ 一生食べなくていいっ‼︎」
弾かれたように望は部屋から飛び出した。
入口に立つ沖田を突き飛ばして、二階へと駆け上がっていく。
「望っ‼︎」
夢もそれを追って行こうとした。

「放っとけ。腹が減ったら勝手に降りてくる。」
黙々と夕食を口に運ぶ合い間に、吉良が言った。
さも どうでも良さそうな言い方だった。
「人の子どもだと思って、適当なこと言わないで下さいっ! あなたには関係ありません!」
「ま、そりゃそうだな。」
やっぱり他人事だと思っているのか、吉良はあっさり退く。
(何なのよ、この人! だったら最初っから黙ってればいいのに…!)
夢は憤然と二階へ登って行った。
二階の廊下の突き当りにある窓の下で、望は膝を抱え込んでいた。
固く唇を結んで肩を震わせている。
泣いているのだ。
夢は驚いて足を止めた。
少しぐらい怒られたからといって、泣くような望ではない。
「望…」
近づこうとする夢の肩を、後からついて来た沖田が抑える。
「夢さん。僕が話してみようか?」
「え?」
思いもかけない提案だった。
「いえ。親子の問題ですから…私が話します。私は母親なんです。」
夢はきっぱり答える。
ずっと親子二人でやって来た。 これからだってもちろんそう。
だから、望のことは自分が一番分っている。
他人に任せることなど出来ないし、また、そんなことをしてはいけないのだ。
しかし沖田は夢の瞳を優しく見つめて言う。
「当り前じゃないか、そんなこと。君はお母さんだよ。でも子どもにしてみればね、お母さんにだから言えないこともあるんだよ。大好きなお母さんにだからこそ言いたくないことがね。きっとそうだよ。僕も小さい時、そうだったから…。」
沖田の瞳は何処までも優しい。
つい任せてしまいたくなるような暖かい話し方…。
「夢さんは 下で 夕飯 食べておいで。後は僕に任せて。」
気がつくと、夢は階段を降りかけていた。
まるで催眠術にでも掛かったように、足が勝手に動いてしまっていた。
(信じられない…。)
自分のことを簡単に乗せてしまった沖田のことも、それに乗ってしまった自分のことも。
全く納得いかない気分だった。
もう一度、夢が階段を戻って行こうとした時、沖田の声がした。
「望くん、隣り座っていいかな。」
望は何も答えない。
それでも勝手に腰を降ろす沖田。

 

 

「君は、お母さんのこと好きかい?」
やっぱり反応はない。
「僕は君のお母さんのこと好きだな。」
ふと望が顔を上げて、沖田を見た。
階段の途中にいる夢は、戻るに戻れない状態になって、その場にしゃがみ込んだ。
なるべくなら今の言葉、聞かなかったことにしておきたい…。
「お前なんか、母ちゃんに相手にされてねーよ。」
「何で分るの?」
「母ちゃんは、あの薄汚ない おやじが好きなんだ!」
「お前でも…オレでもなくって…」
夢はぎょっとした。
「そっかぁ!君は吉良さんに焼きもち焼いてるんだ。…で、拗ねてお母さんに八つ当りした。そうなんだ…。」
「何⁈」
どうして望の気持ちを逆なでするようなことを言うのだ。
やっぱり沖田に任せたのは失敗だった。
夢は後悔した。
「君の気持ちは分るよ。僕もそうだから。あの二人を見てると焼けちゃうよ。…ほんと。」
望がムキになって抗議する。
「お前と一緒にすんなよっ‼︎」
「一緒にはしてないさ。だって僕は夢さんに八つ当りなんかしないもん。好きな人を困らせるようなことはしない。そんなの男らしくないからね。そうだろ?」
「……。」
「男なら、正々堂々と戦うべきだ。 僕はそう思う。たとえ夢さんが吉良さんのことが好きだとしても、そんなの関係ないよ。僕は僕なりに精一杯戦う。勝ち目がなかったとしても絶対負けるもんか。」

「お前は大人だから、そんなことが言えるんだっ‼︎」
望の胸の奥に押え込まれていた気持ちが溢れ出した。
「…今日、オレ見たんだ。あのおやじが母ちゃん助けるとこ…。車が急に突っ込んで行って…母ちゃん死ぬとこだった。それをあのおやじが…。くやしい…。くやしいくらいカッコ良かった。でも、オレにはそんなこと出来ない…。絶対 無理に決ってる。オレ子どもだから....。オレが子どもだから…。」
鼻をすすりながら 一生懸命 話す 望の声。
夢は胸が潰れそうだった。
あんなことぐらいで、そこまで望が苦しんでいたなんて…。
いや、きっと、それだけではないのだ。
望は、ずっと感じていたに違いない。
母のつまらない舞い上がった気持ちに…。
そして不安を溜め続けていた。
だからこそ、ちょっとしたことで あそこまで 落ち込んでしまっているのだ。
自分のせいだ…。
今すぐ飛んで行って、望を抱きしめてあげたい…。
世界で一番、望のことが大好きなのよ…!そう告げてやりたい…。
夢はそんな衝動に駆られた。
その時、明るい笑い声を立てながら沖田が言った。
「ばっかだなぁ…。君は子どもなんだから、同じように出来るわけないじゃん。」
望も夢も、ムッとした。
笑いごとではない。
「そうじゃなくって、君は君のやり方で戦えばいいんだよ。」
「どうしろって言うんだっ‼︎」
望が突っかかる。
「自分で考えるんだね。」
(はぁ…?)沖田が何を考えて喋っているのか、はたまた考えていないのか、夢には さっぱり分らなかった。
「只これだけは言えるよ。君が夢さんの大切な息子だってこと。誰にも 邪魔 出来ないくらいの繋がりがあるってこと。たとえ夢さんが誰を好きになっても、やっぱり夢さんにとって一番は君だってこと。誰も君に勝つことなんて出来ない。自信は持ってていいよ。」
沖田の言葉を聞いて、しばらく望は首を傾げていた。
そして口を開く。
「…じゃあ、オレ戦う意味ないじゃん。」
「ピンポーン。そう言うこと。むしろ焼きもち焼く立場は僕や吉良さんの方だ。分った? 望くん。」
「…うん。」
望は狐につままれたような顔をしている。
それでも望自身が導き出した答えなのだから、納得するしかない。
驚いたのは夢だ。
訳の分るような分らないような理屈で、沖田は すっかり望を丸め込んでしまった。
かなり気難しい望を いとも簡単に…。
母親である夢が話しても、こうはいかなかっただろう…。
(この人って、言葉の魔術師だわ…) 夢はしきりに感心していた。
「望くん、夕飯 食べに行こっか。お腹空いただろ? 夢さんもきっと下で心配してるよ。」
沖田の声。
「…うん、そうだな。」
やたらに素直な望の返事。
夢は慌てて、気づかれないように台所へ戻って行った。
その足音を 何食わぬ顔で聞きながら、沖田は そっと笑みを浮かべた。
(夢さん、僕の告白 聞いていただけました? 少しは心が動いたかな…? それに、夢さんのウィークポイントである望くんも押さえさせてもらいました。少しずつ君は僕の思う壺にはまっていく。必ず、そうなって行く…。覚悟していて下さいね、夢さん。)
何も知らない夢たち親子の影で、沖田の目論見はゆっくり着実に進んでいた…。


夢が台所に戻ってみると、そこには黙々と食事を続ける吉良の姿があった。
(…ったく! 一人で呑気なんだから…‼︎)
厳しい視線を吉良に送る夢。
しかし、どんなに険しい表情も、吉良の食欲にはとっても太刀打ち出来そうにはなかった。

 

 

暗殺者ーメシアー8 へ続く