めかかうな大人のおとぎ話

時代背景30年ほど前の少々大人のアクションラブコメディ小説です。

暗殺者 − メシア – 6

 

翌日は朝から雨。
音もしない霧のような雨が淡々と降り続いていた。
永久に止むことはない…そんな雨は、無表情に立ちつくす高層ビル達を黙って包み込んでいる。
いかにも都会に似合う雨だった。
灰色のシルエットとなって聳えるビル群から一段突き出た巨大なビル。
その最上階の一室に吉良は居た。
無駄に広い部屋の、これでもかというくらいフカフカなソファーで、長い足を組んで座っている。
何処からどう見ても遠慮している風には見えない。
しかし、リラックスしているわけでもなかった。
吉良の眼は油断なく話をしている相手の男に向けられ、男の挙動、心の動き、全てを見逃すまいとしていた。
「どういうことなんだ、吉良くん。もう一週間だよ君! 女一人殺るのに何故そんなに手間取るんだ? 報酬は全額前金で支払ってある。今更、出来ないとは言わせないぞ!」
その男は、壁一面ガラス張りという大きな窓を背にしてデスクを構えていた。
広い岩乗な机の向こうに座り、それを防壁代りだと思っているのか、決してそこから動こうとはしない。
その癖、周りの装飾を整え、必要以上に自分を大きく立派に見せたがる。
小心者の見栄っぱり。 この男はそういう男だ。
何も答えない吉良に苛立ちを覚えたのか、男は忙しなく机を指でこつき回す。
「プロが一度受けた仕事だ。キャンセルなんて認めないぞっ! それにもし、そんなことを一度でもしてみろ。君の信用はガタ落ち。その世界では生きて行き辛くなる。…どうせ君のような男は、人殺し以外何も出来ないんだろう?」
吉良の眼に厳しい光が浮かんだ。
「口には気をつけろ。お前の言う通り俺は人殺しだ。仕事でなくても殺る時は殺る。何だったら、お前をあの女の道連れにしてやってもいいんだぞ。」
男は露骨に怯えて、今度は捲し立てるように吉良の機嫌を取り始めた。
「そ…そんなにムキになるなよ、吉良くん。君は、同業者にも恐れられる一流の殺し屋だと聞いてる。だからこそ、僕は君に仕事を依頼したんだ。もちろん君のことは信用してるよ。つまりね…だから…もう少し…ほんのちょっと早目に仕事を片づけてくれないかって…お願いしてるんだよ。」
反吐が出そうだ。
依頼人でなければ、本当についでに殺したかもしれない。
そのくらい吉良は、この手の男が大嫌いだった。
人を見下すわりには臆病で小狡くて…。
おまけにこの執念深そうな目。
虫酸が走る。
吉良はこの場にいることに、どうしようもない苦痛を感じた。
「話はそれだけか。だったら言っとく。俺は仕事のことで他人に口を挟まれるのが一番嫌いなんだ。俺は俺のペースで仕事をやる。期限をつけられた覚えもない。今度ケチつけるようなことがあったら、この仕事からは手を退くからな。」
そして最後にきっぱり言う。
「行く末 気にするぐらいなら、最初(はな)っから殺し屋なんてやってねぇんだよ。」
ドアが閉じる。
男は 益々 苛々と、今度は爪を咬んだ。
「何なんだ!あの男!」
吉良がいなくなった途端、横柄な態度に豹変している。
それでも腹の虫が治らない男は、思い切ったようにデスクの電話を取った。
「例の男を呼べ。」
短い用件を告げる。
その男の横顔は、痙攣とも取れる薄笑いで引き攣っていた。

 

雨の止む気配はない。
富士見トキの下宿から一番近いスーパーの前で、夢は、どんよりした空を恨めしげに仰いでいた。
真ん前に横たわる道を右に行けば、望の通う小学校。
左に進めば下宿に着く。
下宿までは一本道なのだが、これがなかなか遠かった。
この道、有名なイチョウの並木路で、秋にはとてもロマンチックな雰囲気になる。
広い通りの中央を仕切るようにイチョウの木がどこまでも立ち並び、所々の木と木の間にアンティックな外燈とベンチが備えつけられていた。
秋になると、そこに落ち葉が舞い落ちて一面黄色一色に包まれる。
まさに幻想的世界。
恋人同志の為にあるような…その為にしかないような道だった。
…がしかし。
その路の途中にあるスーパーの前で立ちつくす夢の姿は、ロマンチックとは丸きり程遠い。
何せ今日は、スーパーの特売日ということで、あらゆる物を買い込んだ。
自分の持てる量などを考えるゆとりはなかった。
そして、いざ精算を済ませて袋に詰めてみると…とんでもない状態だったのだ。
(どうしよう…こんなの持って帰れないよ…。)
抱え切れない荷物の上に、今日は傘の存在もある。
考えただけでゾッとする。
それでも何でも持ってしまうのが、母の強さだろう。
夢は気合いを入れると、一気に荷物を持ち上げた。
左手に買物袋2つと、5パック入りのティッシュを下げ、右手にもう一つの買物袋。
そして、その手で傘をさして、傘の柄に12ロール入りトイレットペーパーをぶら下げる。
「よっしゃあっ‼︎」
掛け声だけは勇ましく、夢はトボトボ下宿までの遠い道のりを歩き出した。
ビニールの買い物袋の持ち手が、荷物の重みで細いヒモ状になって腕に食い込む。
段々、重さより痛さが苦痛になってくる。
雨は止まない。
靴に水が染み込んでくる。
それでも帰るしかない。
夢は段々自分が可哀想で泣き出したい気分になってきた。
「荷物が歩いてるみてぇのな。お前の逞しい腕はそうやって鍛え上げてたわけだ。結構やるなぁー。」
呑気な声。
しかし、地獄で仏とはこのことである。
「吉良さん!」

夢にとっては「地獄で仏」だったのだが、吉良にとっては、「藪蛇」だったというか、「飛んで火に入る夏の虫」だったと言うか…。
とにかく、災難には違いなかった。
「くっそう〜!知らん顔して帰りゃあ良かった! 何で俺が、こんなことしなけりゃいけねぇんだっ!」
「その代り、傘さしてあげてるじゃないですかぁ。」
吉良は傘をさしていただきながら、夢の荷物を全部持たされていた。
「そりゃ、どーも、ご親切に!」
しかも、夢一人ではどーしても無理だと思って諦めた特売商品まで追加されている。
「俺は買物カートじゃないっつうんだ!」
不服そうな吉良を他所に、夢は雨を楽しんででもいるように軽やかに歩いていた。
さっき泣き出しそうだったことなど、 すっかり忘れてしまっている。
小雨のそぼ降るイチョウ並木の路を、相々傘で歩く二人。
まるで恋人同志か、新婚カップルのように見える。
まさか誰も、殺し屋と、その男に狙われている女の二人連れだとは思わないだろう。
夢本人ですら、そんなこと夢にも思っていないのだから…。

 

 

「どうして、朝から雨だったのに、傘さして出かけないんですか? まさか、それを洗濯だと称してるんじゃないでしょうね。」
「アホ! んなわけねぇだろ!傘をさすのは俺のキャラに合わないんだ。」
一体どういうキャラだと思っているのだ。
(この人、意外とナルシスト入ってるのかもしれない…。)夢は思った。
「あの…。気になってたんですけど…。吉良さんて、何してる人なんですか? 毎日、ぶらぶらしてるだけに見えますけど…。」
訊きにくいことをはっきり訊く夢だった。
「お前、知らないのか? ちゃんと書類に職業書いて出しただろ。」
「あ、それは、お婆ちゃん…大家さんの所へ直接行っちゃうんで、私は見てません。」
「ふーん。」
吉良は少し間を置いて、ギリギリ聞こえる程度の声で言った。
「あんまり売れない…小説家。」
「え…嘘!そんな名前聞いたことない…」
ハッと夢は口をつぐんだ。いくら何でも言い過ぎたかと、ちょっと反省する。
そこで急いで話を進めた。
「でも、そのわりに、吉良さんて体鍛えてますね。腕なんか筋肉だけで出来てるみたいな…」
更にハッと息を飲む。

吉良の横顔に冷やかなものを感じたのだ。
表情自体は変らない吉良に、夢は言い知れない恐さを見た気がした。
また余計なことを言ってしまったのだろうか…。
夢は話題を変えて、この重い空気から逃れようと思った。
「吉良さん、どんな小説書いてるんですか?」
「訊くな。」
いつもの調子の返答。 普通に戻っている。
「どうして? 教えて下さいよ!あ! 分った! もしかして人に言えないようなアダルト小説ぅ?」
ホッとした途端に夢はズケズケものを言った。
どうしても吉良に対してだけは、こういう態度を取ってしまうのだ。
「俺がそんなもん書いてるように見えるのかっ?」
見えなくはない…。
「だったら何なんですかぁ?」
仕方なく、吉良は口の中でもごもご答える。
大きな体が小さく見えるくらい、照れまくっていた。
「え? 何? 聞こえませんよ。」
夢が面白がって、わざと大きな声で聞き返す。
「童話だっ!」
吉良 赤面。
夢の目が点になる。
「ど・う・わ…?」
「うふっ」から始まって夢の笑いが暴発した。 転がるように笑っている。
夢が笑えば笑うほど、吉良は小さく赤くなっていった。
しまいには梅干しになってしまうかもしれない…。
ひとしきり笑った後、夢は穏やかに言った。
「でもステキ。童話が書けるなんて、きっと心がきれいな証拠ですね。」
吉良の顔が曇る。
「そうとも限らねえよ。」
「どうして? 吉良さんて、ちょっと普通の人と違うとこあるけど、いい人じゃないですか。口も悪いし、無神経なとこもあるけど絶対いい人ですよ。」
誉めているつもりらしいが、9割が悪態である…。
「この間、私、階段から落ちて、吉良さんに助けてもらいましたよね。あの時の吉良さんの目、すごくきれいでした。瞳のきれいな人に悪い人はいないって言うでしょ? だから…」
「くだらねぇな。」
夢は驚いて吉良を見上げた。
「目を見て悪人が分るなら警察いらねぇだろ。悪いヤツでも目が悪けりゃ、潤んで光ってきれいな目に見える。目のきれいな犯罪者なんて捜せば何処にでも転がってるぜ。そんなもん、サンタクロース並の嘘くせぇおとぎ話だ。」
「…どうして? どうしてそんな言い方するの? 吉良さんのこと悪く言ってるわけじゃないのに…。そんな言い方、何か悲しいです…。」
吉良自身も訳が分からない。
どうしてわざわざ、自分が悪人だと知らせるようなことを言うのか。
夢が自分を『いい人』だと言うのだから、それで良いではないか。 むしろ好都合な話だ。
それなのに吉良は、まだ付け足すように言った。
「お前は丸っきり生きてる童話だな。そんなこっちゃ、長生き出来ねえぞ…。」
やっぱり悲しい吉良の言葉に、夢は何故か、今度は優しい響きを感じ取った。
黙ったまま並んで歩く二人。
その背後に音もなく、一台の車が迫ってくる。二人はまだ気付かない。
沈黙を破って、夢が何か言おうとした。
「あの…」
急に真後ろで車のエンジンが唸り声を上げる。驚く程、音が近い。
振り返ろうとした瞬間、夢の体は宙に浮いていた。
吉良が夢を抱えて横に飛び退いたのだ。
間一髪。
二人が倒れ込んだ わずか数10センチ横を、車が猛スピードで走り抜けて行った。

 

一体何が起きたというのだ。
その時、夢の目に映ったものは…。
道路一面に散らばった食料品と、踏みつぶされたティッシュの箱、ビニールが裂けてバラバラに転がるトイレットペーパー。
そして、折れ曲った傘。
体が震えた。
事の経緯までは理解出来ないものの、あの場に立っていたら どうなっていたのかは、この状況を見れば分る。
這い上がってくるような恐怖。
音を聞きつけて集まった人々のざわめき。
何もかもが渦巻いて、遠く感じる。
夢は、ただひたすら震える手で、吉良の胸にしがみついていた。

 

 

暗殺者ーメシアー7 へ続く