めかかうな大人のおとぎ話

時代背景30年ほど前の少々大人のアクションラブコメディ小説です。

暗殺者 − メシア – 10

10

 

富士荘、玄関先である。
望の声。
「この人さらいっ!母ちゃんを放せっ‼︎」
「夢さんのことなら、この僕にお任を。」
望の声に続いたのは、沖田のセリフ。
「私、自分で歩けますから…」
夢も言った。
3人の訴えの的になっているのは、もちろん吉良だった。
「ごちゃごちゃうるせぇなっ‼︎ ちょっと近所の病院に連れてくぐらいで、何 大騒ぎしてんだ! お前らはっ‼︎」
このいざこざの原因は、吉良が夢をおぶっているところにある。
誰も病院に行くことに文句をつけているわけではない。
「…だから、私…自分で…」
「病院ならオレが連れてく!」
「何だったら、この僕が…」
3人の言い分をいちいち聞いていたら病院が閉まってしまう。
吉良は全員を黙殺して玄関を出た。
「だったら、オレも行くっ‼︎」
慌てて望が後を追う。
靴も履かずに玄関を飛び出した。
母のことが心配で仕方ないのだろう。
しかし、そんな望をいきなり吉良は怒鳴りつけた。
「いい加減にしろっ‼︎  望っ‼︎  お前がついて来て何の役に立つ⁈  邪魔になるだけだっ‼︎」
びっくりして望が足を止める。
「吉良さん…そんな…」
夢を制して吉良は続けた。
「お前、いっつも母ちゃん守るだの何だの偉そうなこと言ってるけどな、さっきのあれは何だ? いざとなったら、お前は母ちゃんの影に隠れて逃げてるだけじゃねえかっ! 守る為ってふりして、お前は母ちゃんに引っついていたいだけなんだ! 甘えてるだけだっ! 本当は誰よりも甘ったれてんだよっ‼︎」
痛裂な言葉が望の胸に突き刺さる。
言い返したいのに出来ない。
それだけ今の言葉は望の意識しない本音を言い当てていた。
突きつけられて始めて気付いた…そんな感じだった。
望の目に悔し涙が浮かぶ。
どうして、こんなに悔しいのかは分らない。
まだ幼い望には『自分に腹が立つ』という感情は理解出来なかった。
「ガキ! 次は泣き落としかよ。」
吉良の言うことは何処までも厳しい。
「ガキじゃないっ‼︎  泣いてないっ‼︎」
今、望が言い返せるのはこのくらいだった。
「…それなら。お前がガキじゃないなら、ここに残ってこの家を守れ。母ちゃんの代りをしっかりやってみろ。母ちゃんに引っついてることだけが母ちゃんを守ることじゃないんだ。分ったな、望。」
吉良は望の頭を軽くポンポンと叩いた。
黙って俯く望。
「後は頼む」目で沖田に合図を送って、吉良は出て行った。
背中の夢は気がきではない。

望は傷ついている。このまま放っておいていいのだろうか…。
やっぱり病院なんてどうでもいいから、あの子の傍に…
その時、望が叫んだ。

「おっちゃん! 母ちゃんのこと任せたぞっ‼︎」
その表情は明らかに今までとは違っていた。
自分の気持ちを整理して、望は ほんの少し 大人になったのかもしれない。
夢は驚きと、そして何とも言えない誇らしさを胸に感じた。
同時に吉良に対する信頼感もずっと強くなった。
おそらく本人が自覚する以上に。
3人の姿を見ながら、沖田は一人肩を竦める。
「吉良さん。すっかり美味しいとこ持って行っちゃったって感じ…全く…。ま、今回は譲っときましょ。しょーがないですもんね。」
退くことも勇気であろう(?)。

夢をおぶさり歩きながら、吉良は苦い思いを噛み締めていた。
自分が一体、何を任されると言うのだ。
夢を殺す為にいる自分が何をしようと言うのだ。
しなければならないことと実際することに、どんどんズレが生じて行く。
夢を病院に運んだり、望を叱りつけたり、自分が今しなければならないこととは、かけ離れ過ぎている。
頭と心が分離しているのだ。
夢を病院へ連れて行くことについては、まだ苦しいながらも理由がつけられた。
吉良は犬の件が只の事故だと考えてはいない。
二人を襲った車 同様、故意に起こされた事件なのだと読んでいる。
だから夢を助けることは新手のスナイパーの妨害をすること。
つまり夢には関係なく、只、自分の仕事を横取りされまいとしてしているだけのことなのだ…そう自分に言い訳が出来た。
しかし望を厳しく叱ったことはどうだろう。
吉良はそうすることで、望を夢から引き離そうとした。
何故なら、望を危剣な目に会わせたくないから…他に理由のつけようはない。
もう一人のスナイパーのやり方は、関係のない者に対しても容赦はない。
巻き添えを食って一緒に死んでも構わないと思っているようなやり方だ。
夢の傍にくっついていれば、望は常に危険に晒されることになる。
それを防ぐ為には、自律させ自己防衛する力を身につけさせる必要がある。
吉良はそんなことまで考えていた。
仕事には関係ない…。
自分には関係ない…。

分っているのにつまらないお節介を焼いてしまう。
望の母の命を奪おうとしている男の考えることではあるまい。
それでも尚、望のことが気に掛かるのは、もしかしたら幼い頃の自分と望がオーバーラップするせいなのか…。
そして夢が殺せないのも、もしかしたら…。

夏の遅い夕暮れの道を二人は下宿に向って歩いていた。

厳密に言うと歩いているのは吉良だけである。
夢は吉良の背中でしくしく泣いていた。
「いい加減、泣き止めって! 人が見るだろが!」
「おんぶしてもらってるだけで 十分 人目は引いてます…。」
泣いていても口答えは出来るらしい。
「だって…痛かったんですよ…体中いっぱい針刺されて、雑布みたいに縫われて…」
思い出しただけで痛くて涙が止まらない。
はっきり言って丸っきり子どもだ。
「麻酔が効いてるのに痛い筈ないだろ。」
「見てるだけで痛いんです!」
(勝手にやってくれ…)
吉良は諦めて口をつぐんだ。

 

 

それにしても、これが子どもを守る為に自分から犬に手を噛ませた女だとは、とても思えない。
あの状況では、男だって そこまで 出来るかどうか怪しいものだ。
あの時の夢は母親で、今の夢は女…いや子どもか…? とにかく、そういうことなのだろう。
(女ってのは分かんねぇ生き物だな…。)
吉良は改めてそう思うのだった。
その時、背中の夢が ぽつんと言った。
「吉良さん…。今朝はごめんなさい…。」
「今朝? 何かあったっけか? 忘れちまった。」
ぶっきらぼうで優しい吉良。
何だか とても あったかい気分になって、夢は吉良の背中にぎゅっと抱きついた。
だいだい色の夕日が二人のささやかな時を地面に映し出す。
シルエットの印章はすぐに形を変えてしまうけれど、幸せの証しは残せないけれど、それでも二人の気持ちは この瞬間一つになっていた。
懐かしいような夏の夕暮れの風だけが、それを知っていた。

 

しばらくは何ごともない平穏な日々が続いた。
夢の傷も少しずつ良くなってきている。
無理な動きをしなければ、ほとんど痛みは感じない。
夢が動けない間、彼女の代りに男達はよく働いた。
望は子どもらしく、沖田はいつも優しく、吉良は吉良なりに、みんな夢に良くしてくれた。
ちょっと家賃を割引いた方がいいのかしら? そう思っても口には出さない。
何せ夢は大家ではないので、そんな権限はない。
好意は有り難く貰っておくしかなかった。
体の苦痛が無くなってくると、今度はじっとしていることを苦痛に感じ始めてしまう夢。
そろそろ動くチャンスを狙っていた。
午前中。
沖田は会社へ、望は学校、吉良も散歩に出て行った。
この機会を逃がす手はない。
「洗濯ぐらいしてもいいよね。どうせ洗濯機が洗ってくれるんだし…。」
夢は寝床を抜け出して、洗濯カゴを覗きに行った。
意外に洗濯物は溜まっていない。
(結構 頑張ってくれてるんだ…。でも、ちょっと残念…。)
カゴに入っているのは一枚、吉良のコートだけだった。
本当に洗濯してるのか…そう思うと何だか可笑しくて、夢は一人で笑った。
コートを通して吉良の温もりが伝わってくる。

吉良の背中は大きくて温かかった…。
(私が洗っておいてあげよう…。)
夢は嬉しいような照れ臭いような気持ちで、洗濯の準備を始めた。
まずはポケットの点検をしておく。
レシートでも入っていたら、黒いコートがまっ白になってしまう。
右のポケット、左のポケット、それから内側…
やっぱり調べて良かった。
中に何か入っている。
カードのようなものが…
ハッと夢の目は、そのカードに釘づけになった。
いや、カードではない。写真だ。
それは夢の少し昔の写真だった。
(…どうして…?)
何故、吉良が夢の写真を持っているのか…頭が混乱する。
しかも夢が十代の頃の写真なんて、彼女自身一枚も手元に置いていない。
家を出る時、そんなものは全て実家に置いて来た。
それを何故、吉良が持っているのだ。
まさか…。
吉良の謎を解く鍵のかけらが、一斉に頭の中を駆け巡る。
考えたくないのに、かけらは組み合わさって鍵の形を作り始める。
童話作家などと言って、毎日ぶらぶらしている吉良。
仕事をしているところを見たことは一度もない。
それに 今 思えば、吉良はいつも下宿から離れず、夢のことを見ていたような気がする。
写真を持っていたことも考え合わせると、吉良は最初から夢のことを知っていて、夢に近づくのが目的でこの下宿へやって来た…そう自然に答えが浮かんでくる。
でも何の為に…。
あの体格、瞬抜力、どれをとっても吉良は只の物書きなどではない。
そうは思えない。
あの時、夢に向けられた吉良の鋭い眼差しもやはり尋常なものではなかった。
それから銃。
犬の頭を正確にあの距離から撃ち抜く銃の腕。
警官やヤクザじゃなく、銃を携帯し、使いこなす人間。
答えはたぶんこれしかない…。
吉良は…吉良は…映画でもマンガでもなく、本物の…暗殺者なのだ。
自分を殺す為にやって来た殺し屋だったのだ。
ついに鍵は開いてしまった。

 

 

知りたくなかった。
どうせ殺されるなら何も知らないままで、 ひと思いに殺して欲しかった。
こんな気持ちになる前に…。
夢は気づいた。
こんな状況になって始めて、自分の気持ちにはっきり気づいてしまった。
胸が痛い…。
殺される恐怖より、ずっとずっと悲しみの方が強かった。
吉良さんが私に優しくしてくれたのは仕事の為だったんだ…。
私に近づいて油断させて殺す為…。

それだけのことだったんだ…。
でも、じゃあ何故、私の命を助けたの…?
どうして、そこまでする必要があったの…?
油断させるだけなら、もう十分だった筈じゃない…。
そうよ…。
私は、もうとっくに吉良さんのこと…好きになってたよ…。
今、気づいた。でも好きになったのは、もっとずっと前だった。
気づかないふりしてただけだ…。
それなのに…吉良さん…酷いよ…。
夢は吉良のコートを胸に抱きしめた。
掴むことの出来ない吉良の心を、少しでも近くに感じたくて…。
「吉良さんが好き…! たとえ…あなたに…殺されたとしても…。」
夢の想いに行き場はなかった…。

 

 

暗殺者ーメシアー11 へ続く