めかかうな大人のおとぎ話

時代背景30年ほど前の少々大人のアクションラブコメディ小説です。

暗殺者 − メシア – 11

11

 

吉良が下宿に戻って来たのは、もう日の落ちかかった頃だった。
玄関の戸をガラガラ開くと、家の中が良い匂いでいっぱいになっている。
吉良はピンときた。
「夢だな…。…あいつ!」
今日の夕食当番は、沖田と望の筈。
そういう時、玄関に漂って来るのは たいていコゲ臭い匂いだった。
「ちょっと目を離すと、これだ。…ったく!」
と思った後、吉良は慌てて付け足し思う。(俺の知ったこっちゃねぇけど…。)
「お帰んなさーい!」
そこへ、エプロン姿の夢が顔を出した。
えらく上機嫌で、やたらニコニコ楽しそうに笑っている。
「体調もかなり良くなったんで、今日はご馳走を作っちゃいましたぁ! 動けない間、色々お世話になりましたから、せめてものお礼です!」
「おい、お前…まだ…」
人の話も聞かずに、夢はさっさと居間の方へ入って行く。
吉良も玄関を上がって、居間とは反対側の台所兼食堂を覗いてみた。
食堂のテーブルの上には何も並んでいない。
「吉良さん! こっちですぅ! 早くぅ!」
居間から呼ぶ夢の声。
どうもさっきから、夢のテンションは高過ぎるような気がする。
まるで酔ってでもいるような…。
「まさか!お前っ‼︎」
吉良の予想通り、居間は宴会場と化していた。
応接用のテーブルの横に折り畳み式の机まで広げて、その上に、あらゆる料理が細々と並べてある。
夢にしては珍しく、洋風でちょっとしたパーティーに出て来そうなお洒落な料理だった。
きっと本を見ながら苦心して作ったのだろう。
そして酒類
これまた色々と並んでいた。
ビール、日本酒、ワインにウイスキー、ブランデーなど、あらゆるニーズに対応出来るといった感じ。
パーティーは既に盛り上がりを見せていて、夢の前のグラスに入ったワインもかなり減っている。
何杯目のワインなのかは分らないが…。
「お前! 酒呑んだのかっ?」
「だって吉良さん、帰ってくるの遅いんだもん。待ってられませんよぉ〜」
「そんなこと言ってるんじゃねぇ! お前が 酒 呑んで良いわけないっつってんだ!」
「もう平気ですよ〜」
夢はトロンとした目で吉良を見ながら、残りのワインを飲み干した。
「呑むなっ‼︎」
「吉良さん、無駄っすよ。僕も散々止めたんですから。でも、夢さん聞いてくれなくて…」
そう言う沖田の目も完全に座っている。
どちらかと言うと夢より酷い。
無理矢理 飲まされた様子だが、それにしても詐欺師の癖にだらしない。
「こりゃ駄目だ…。」
吉良は呆れて言葉を失くした。
そんな中で唯一まともな望が、吉良に言う。
「おっちゃん、後は任せたぜ。酔っ払いの相手はもう疲れちゃった。オレ、風呂入って寝るから。」
「ちょっと待て!望!寝るって、お前 まだ明るいじゃねぇか!汚ねぇぞ!」
「何 言ってんだよ、おっちゃん。もう7時半! 夏は日が長いだけ。今から風呂入れば、ちょうど寝る時間になるよ。じゃ、そういうことで。」
まとも過ぎて可愛い気もない。
「望‼︎ ひきょーもーん! 後で花火しよって約束したっしょ!」
「吉良のおっちゃんがしたいってさ。」
酔っぱらいには構わず、望は居間を出て行った。
「くそ…望…。」
はっきり言って、吉良だって逃げ出したい気分だ。

パチパチパチ…縁側で、線光花火が小さな火花を散らしている。
無邪気に笑う夢の顔も、花火色に揺れていた。
打ち上げ花火ぶっ放されなくて良かった…吉良は秘かに思いつつ、酒を口に含んだ。
真後ろのソファーでは、沖田がすっかり潰れている。
夢に煽られるままに酒を飲んだ結果だろう。詐欺師も結構つらい仕事なのである。
宴の後の静けさ。
吉良は料理をつまんで酒を吞みながら、しみじみと穏やかな夏の夜の雰囲気に浸っていた。
縁側の風鈴をくすぐって入って来る涼やかな夜風。
遠くで聞こえるカエルの声。

そして花火。
昔 懐かしい 夏の夜のイメージ そのままだ。
しかし、吉良にその懐かしさを覚えることは出来ない。
生まれてから一度も、こんな穏やかな夜に触れた経験がないからだ。
夜は暗くて孤独なもの。吉良が夜に対して思うことは、このくらいだ。
ずっと今まで、吉良にはそんな夜しか来なかった。
それが当り前だと思っていた。
だから、テレビで見かける夏の夜のシーンなんて、作りごとなのだと そう思っていた。
それが現実にここにある。
今まで見ていた自分の現実の方が、嘘のようにさえ感じられる。
吉良の現実は今も進行しているというのに…。
(殺し屋とターゲットが同じ部屋にいるって雰囲気じゃねえな…。)
吉良は皮肉に笑った。
「吉良さんも一緒に花火しよーよぉ! 一人じゃつまんないー!」
相変わらずのハイテンションで夢が呼ぶ。
「はいはい、分一ったよ。」
「あ!電気消して来て! も〜っと綺麗に花火見たいからぁ‼︎」
言われた通り部屋の電気を消して、吉良は縁側に腰を降ろした。

火のついた花火が手渡される。
夜の暗の中に火の花が咲いた。

 

 

じっと見つめていると、小さな火花が存在感を増し、その中に吸い込まれそうな気がしてくる。
何もかも花火の火と共に弾けて消えてしまえばいい…ふとそんな想いが胸を過ぎっていく。
チリッ…チリ…小さな火の固まりは、最後の瞬きを終えて、闇の中に落ちて行った。
「あ〜あ…。終っちゃった…。最後の一本って私、嫌い。日曜日の夜とか、8月31日とか思い出しちゃう…。消えない花火があればいいのにな…。」
夢が呟きながら吉良の隣りに腰を下ろす。
縁側に並んで座る二人の姿は、深いブルーのシルエットになった。
夜風が二人を包んで流れて行く。
優しい沈黙。
夢の頭がゆっくり倒れて、吉良の肩に寄り掛かる。
「気分でも悪いのか? 調子ん乗って呑み過ぎるからだ。このバカが…。」
吉良がはぐらかすように言った。
「さ!宴会は終りだ。電気つけるぞ。」
立ち上がろうとする吉良の腕を、夢がしっかり掴む。
「ここに居てっ!」
(…夢。)
仕方なく 吉良はもう一度 腰を沈めた。
「お前、相当酔ってんな…。酒に酔って寂しくなって、誰でもいいから傍に居てってか…? フン! お前も女だな…。」
突き放すような冷たい言い方だった。
夢の上気した気持ちに水をかけて醒まそうとでもするように。
しかし、夢はそれに動じるわけでもなく、さも可笑しそうに笑った。
「ほんとそうね…。そうだったら良かった…。誰でも良いなら、こんな悩まなくて済んだのに…。お酒呑んで訳分かんなくなって、誰でも良くなって…って、そうなりたくてお酒を吞んだのに…。全然、駄目だ…。」
一人言のように夢は小さく言う。
酔っている様子ではなかった。
「酔いたいと思ってお酒を呑んでも、酔えないんだね…。初めて分った…。」
「お前、自分で何を喋ってるか分ってんのか? 酔っぱらいの戯言に いつまでも付き合える程、俺は暇じゃねえんだ。ほら離せよ!」
吉良が無理矢理、夢の手を引き剥がす。
「どうしてよっ‼︎」
急に夢は大声を上げた。
ちょっと驚いて、吉良が夢を見る。
「吉良さん…どうして? どうして私の前に現われたの…? あなたが…あなたさえ来なかったら、私…。私ちゃんと母親でいられたよ…。ずっとずっと母親だけして生きて行けたよ…それなのに…」
俯いていた顔を上げて、夢も吉良を見た。
真っ直ぐに見つめた。
「私…私は、吉良さんのこと…」
吉良が遮る。
「俺は子持ちになんか興味ない。お前を女だと思って見たことねぇし、別に魅力も感じない。俺にとって、お前は只の下宿の管理人だ。それ以上でも、それ以下でもねぇよ。」

「嘘よ!」
「…何?」
ハッとするくらい夢は寂しい笑顔を浮かべた。
「それ以下でしょ…? でなきゃ…私のこと殺せるわけないもん…。」
吉良の思考回路が一瞬にして停止する。
「な…に…言ってるんだ…? お前…。」
冷や汗が背中を伝っていく。
夢は寂しい笑みをそのままに静かに告白した。
「ごめんね。今日、私、洗濯しようと思って、吉良さんのコートの内ポケット見ちゃったの…。あの…私の写真。」
(写真…?)
…完全に手落ちだった。
そんなものは、さっさと処分しなければならなかったのだ。
アイドル歌手のブロマイドでもあるまいし、いつまでも手元に置いておくべきものではない。
吉良にあるまじき初歩的なミスだ。
「あれは…」
「いいの…。それがあなたの仕事なら…仕方がないもの。私は、あなたになら殺されたって…構わない…。でも…お願い…。その前に…。その前に…。」
夢は自分の胸を押さえて、固く目を閉じた。
震える息を一気に吐き出して、そして思い切って言う。
「私を抱いて下さい。」
心臓が飛び出しそうだった。
自分でも信じられない。
こんなことを言うなんて…。本当に言えてしまうなんて…。
取り戻せるものなら今の言葉、取り戻して焼き捨ててしまいたい…!
夢は居た堪れない気持ちで、吉良からの答えを待った。
「ふざけるなっ‼︎」
いきなり吉良が夢を怒鳴りつけた。
突き上がってくる怒りを抑え切れない…そんな様子だった。
「何を勘違いしてるか知らねぇが、殺されてもいいって、そりゃ何なんだっ‼︎ お前、母親だろっ‼︎ 子どものこと、ちょっとでも考えたのかっ⁈ もしも俺が、お前の言う通りのヤツだったとしても、子どもの為に殺さないでくれって頼むのが母親ってもんじゃねぇのかっ‼︎ 望にとって母親はお前だけなんだぞっ‼︎ 誰にも代りなんか出来ねぇんだぞっ‼︎ 軽々しく死んでもいいなんて言うなっ‼︎ 自分勝手もいい加減にしろっ‼︎ お前みたいな女、抱く気もなけりゃあ、殺す気もない…! 今度くだらねぇこと言いやがったら、女でもぶん殴る! 分ったなぁっ‼︎」
弾かれるように立ち上がり、夢は居間を飛び出した。
恥ずかしかった。
自分が情けなかった。
吉良の言う通りだと思った。
自分は母親として、いや女としても、人間としても最低だ。
こんな自分をこれ以上、吉良に見られたくない…。
夢は、本当に出来れば死んでしまいたいような気分だった。

吉良が溜息をつく。
(俺は一体、何をムキになってるんだ。何を偉そうに説教たれてる…。夢が自分から死んでも良いっつったんだ。願ったり適ったりじゃねえか…。女、抱いて仕事が片付く…こんな結構な話、他にあるもんか。それでいいじゃねぇか。後のことなんて俺には関係ない。望がどうなろうと知ったこっちゃねぇや。元々、俺はそんなヤツだった筈だ…。それなのに…。殺し屋、失格だぜ…!くそ…‼︎)
「もう夢さん殺すのやめちゃったんですか?」
眠っていると思っていた沖田が、不意に声を掛けて来た。
吉良が振り向く。
沖田は別に酔った風もなく、ゆったりソファーに座っていた。
「寝たふりして盗み聞きか…? 悪趣味だな。」
「やだな人聞き悪いですよ。そんな言い方…。僕は只、気を効かせただけですよ。いい雰囲気だったから…。」
(こいつ、最初っから酔ってたわけでもねぇな…。どういうつもりだ。)
全くいつもと変らない沖田を見て、吉良は思った。
「何処がどう良い雰囲気だったんだ。」
沖田は、よっと立ち上がると、ニヤニヤ笑って言った。
「それにしても吉良さん。むごいことしますよね。夢さんの一世一代の誘いを無下に断っちゃうなんて…。彼女、相当 傷ついただろうなぁ…。」

顔色一つ変えずに、吉良は黙って、沖田の無駄口を聞いている。
「まぁ僕にしてみれば、彼女を吉良さんに持ってかれちゃ困るから、これで良かったんですけどね。むしろ彼女を傷つけたのは僕にチャンスをくれたようなもんです。ハートブレイクな彼女なら付け入る隙もある。」
沖田の目は妖しい光を放っていた。
優しい顔からは想像もつかないような狂気を孕んだ眼だった。
たぶん、この眼が沖田の本性なのだろう。
「吉良さん、仕事を止めちゃうのは あなたの勝手ですけど、くれぐれも僕の邪魔だけはしないで下さいね。お互い相手のテリトリーには入らないようにしましょう。約束ですよ。」
沖田は部屋を出ようとしてふと立ち止まり、愛想良く付け足した。
「仕事しないなら、もうここから出てってもいいんじゃないんですか?」
「誰が仕事しないって言った。」
やはり吉良の顔色は少しも変らない。
「吉良さん、人殺しだけど嘘つきじゃないと思ってたんだけど…。ま、いいや、僕は僕の仕事をするだけです。」
意味あり気な笑顔のまま、沖田は姿を消した。
(食えねぇ野郎だ…。笑ってる裏で何を考えてるのか全く掴めねぇ。…くれぐれも邪魔するな…か。…何をするつもりだ。)
自分には関係ない。
分っていても、吉良は何かすっきりしない胸のつかえを消すことが出来なかった。

 

暗殺者ーメシアー12 へ続く