めかかうな大人のおとぎ話

時代背景30年ほど前の少々大人のアクションラブコメディ小説です。

暗殺者 − メシア – 12

12


「おはようございまぁす。」
次の朝、夢はいつも通り元気に吉良に声を掛けて来た。
「ああ…」
吉良の方が対応に困っている。
続いて、食堂に集まった全員に夢は宣言した。
「今日から私、全面的に家事復帰します! 本当に今まで皆さん、お世話になりました! これから頑張りまーす!」
不自然なくらいの明るさ。
吉良は胸が痛んだ。
夢が明るく振舞えば振舞う程、その心中の傷の深さが見えてしまう。
それを無理に吹っ切ろうとする夢が、痛々しかった。
犬に襲われた傷も決して完治したわけではなかろう。
まだ背中も肩も腕も、気づかれないようにしているつもりらしいが、十分庇って動いている。
無理を承知で働こうというのだ。
それも全て吉良のことを忘れる為。きっとそうに違いない。
吉良には、夢の無理を見て見ぬふりすることしか出来なかった。
夢の気持ちに答えられるわけがない以上、優しさは彼女を苦しめるだけだ。
たとえ、もし吉良が今の仕事を放棄したとしても、ここに居ることは出来ない。
吉良が殺し屋を続ける限り、一カ所に止まることは不可能なのだ。
夢を殺そうが殺すまいが、別れは確実に目の前にある。
夢の想いが実ることはあり得ない。
突き放すしかない。
それが吉良の思いやりだった。
全く信じられない話だが、吉良は夢の想いに対して、そういう形であっても、きちんと答えようとしていたのだ。

「僕、今日、頭が痛いんで、会社休みます。」
具合悪そうな様子で沖田が言った。
朝食にも手を付けていない。
「二日酔いですね、完全に…。」
沖田は照れくさそうに笑う。
(よく言うぜ、こいつ。昨夜これっぽっちも酔ってなかった癖に…。)
朝食を口に運びながら、吉良は横目で突っ込んだ。
しかし夢はそんなこととはつゆ知らず、一人でしきりに悪びれている。
「私が無理に、お酒を勧めたせいですよね。本当にすいません。調子に乗り過ぎてしまって…。」
「何を言うんです、夢さん! あなたのせいじゃありませんよ。僕も大人なんですから自分で考えて呑めば良かったんです。だから僕が悪いんです。」

「沖田さん…。」
夢は傷心のせいで感激しやすくなっているらしく、うるうる瞳を潤ませた。
(マジで今なら落ちるぜ、こいつ。)
無視しようと思うのだが、どうしても二人のやり取りが気になってしまう吉良だった。
沖田は二階へ、望は学校へ出て行った後、食堂には夢と吉良だけが残った。
流しに向って ひたすら洗い物をする夢。
最後まで黙々と朝食を食べ続ける吉良。
空気が重い…。
吉良の分以外の食器を片付け終え、夢はようやく思い切って口を開いた。
「あの…吉良さん。昨夜は変なこと言ってごめんなさい。酔っぱらいの戯言ですから忘れちゃって下さいね。」
夢はぎこちない笑顔を残して食堂を出た。
少しだけ肩の荷が降りた気がする。
せめて昨夜の醜態のフォローをしておきたかった。
好きになって貰えなくても嫌われたくはないから…。
今の言葉くらいで取り消せるようなことではないけれど、それでも少しはイメージが変えられた筈だ。
それで満足するしかない。他に出来ることは何もない。
本当に吉良が殺し屋なのかどうか…そのことについては、もちろんまだ気になっている。
でも夢はもう確める気はなかった。
吉良が殺す気はないと言うのだから、それを信じようと思った。
想いは届かなくても、自分の好きになった人なのだ。だから、信じたいと思った。

洗濯を済ませて戻ると、食堂にはもう吉良の姿はなかった。
散歩に出たのかもしれない。
ちょっと、ほっとする。
やはり顔を合わせるのは、まだ辛い。
胸が生々しく痛むのだ。
夢は気分を切りかえようと、沖田にお粥を作り始めた。
沖田が二日酔いになったのが、自分のせいだと思っているので、その責任感もあった。
お盆に出来立てのお粥と薬を乗せて、二階へ上がる。
(起きてるかな…)
そう思いながら、遠慮がちに沖田の部屋のドアをノックしてみた。
返事がない…。
(具合悪そうだったから眠っているのかもしれない…。)
諦めて引き返しかけた時、部屋の中から沖田の声が聞こえた。
「はい…どうぞ。」
夢がそっとドアを開く。
沖田は、布団から身を起こそうとしているところだった。
「あ、寝てて下さい。お粥作ったの、ここに置いときますから。後で気分良くなったら食べて下さいね。お薬も...。」
「じゃ、そうさせてもらいます…。」
一旦、布団に入っておいてから、沖田がもう一度言う。
「あの、やっぱりお薬だけ、先にもらえませんか? 頭痛が酷いんで…。」
「ええ、もちろん。」
沖田に取りに来させるわけにはいかないので、夢は急いで枕元に薬を運んだ。
体を支えて起こしてやりながら、コップに入った水を手渡す。
「それと、これがお薬。大丈夫ですか?」
「ええ、すいません、夢さん…。…夢さん‼︎」
あっという間に夢は沖田の懐に抱かれていた。

 

 

コップが転がり落ちて、水が床に広がる。
「ちょ…ちょっと…あの…沖田さん…」
「僕の気持ち、分ってくれてますよね。」
更に夢を抱きしめる腕に力が入った。
「じょ…冗談やめて下さい! 頭痛で頭おかしくなっちゃったんじゃないですかっ⁈ 離してっ!!」
夢は身をよじる。
「あっ‼︎」
体に鈍い痛みが走った。
無理な動きをすると、まだ完治していない傷が痛むのだ。
「離さない…。君が僕の気持ちに答えてくれるまで…。」
「そんな…。」
(無茶苦茶 言わないでよ…!)
そうは思うが、夢は昨日、自分が傷ついたばかりで、沖田に同じ想いをさせる気にはなれない。
何んとか沖田を傷つけずに、この場を切り抜ける方法はないだろうか…。
「あの…私なんか相手にしなくても、あなたなら他のステキな女の人が放っとかないでしょ? 何も…わざわざ子持ちの女なんか…」
沖田が夢を見つめる。
この瞳が曲者なのだ。
「君だからさ。君だから好きになった。他の女とは全然違う! 君だから子持ちというハンデがあっても好きになれたんだ!」

(…ハンデ?)
一瞬、夢は沖田の催眠にはまりそうだった。
しかし、今の言葉で目が覚めた。
この人は何か違う…はっきりそう分った。
「あの…私…沖田さんのこと…あの…ステキな人だとは思います。同じ人間としては、もちろん…好きです。でも…あの…」
(同じ人間としてねぇ…。これはまた話が壮大になって来ちゃった…。)
沖田が笑いを噛み殺す。
しかし、こんなことで気を殺がれる程、甘い沖田ではない。
「そんなこと聞いてるんじゃないっ! 僕は男として君が好きなんだ!」
「…え…それは…でも…」
夢のとまどいを利用して、沖田は一気に夢を布団に押し倒した。
「きゃっ‼︎」
気持ちで落とすのは まだ無理だと踏んで、戦法を変えるつもりらしい。
心が駄目なら体を先に奪ってしまえ…そんなところだ。
「お…沖田さん…何を…」
「夢さんを僕のものにしたい。誰にも渡したくないんだ…。夢さんは僕のものだっ!」
冗談じゃない! 勝手にそんなことを決めつけられては堪らない!
「いやっ‼︎」
夢が両手を振り回して暴れる。
その腕を沖田は掴んで布団に押さえ込んだ。
「きゃっ‼︎」
右腕に電流のような痛みが走る。
犬に食い千切られそうになった腕は、中でも一番酷い傷になって残っているのだ。
怯んだ夢の首筋に沖田の唇が這い回る。
夢は必死でもがいた。
しかし、もがいてももがいても低抗出来ない。
いや、それどころか動けば動く程、沖田の体が入り込んで来て、どんどん自由が効かなくなっていくようだ。
プロの沖田に、夢などが太刀打ち出来る筈がない。
当然の状況と言うしかあるまい。
それでも夢は渾身の力で、沖田の体を突き放そうとした。
「あっ‼︎…いっ…たぁ…‼︎」
再び、沖田が夢の右腕を掴んで、力一杯、布団に捩じ伏せた。
その時、やっと夢は気づいた。
沖田が右腕ばかりを捕えるのは偶然などではない。
痛いのが分っていて、だからこそ敢えてそれをやっているのだ。
(…この人!)
今までは、それでも何とか逃れられそうな気持ちでいた夢から、そんな楽観的な気分は消し飛んだ。
沖田は本気なのだ。
夢の気持ちなど関係なく、事を成し遂げることしか考えていない。
どんな手を使ってもそれをしようというのだ。
右腕を押さえ込んだまま、沖田は夢の胸元に顔を埋めた。
突き上がってくる嫌悪感。
夢中で夢は叫んだ。
「いやぁ〜っ‼︎ 助けてっ‼︎ 助けて…吉良さんっ‼︎」
沖田の目つきが豹変する。
吉良の名を耳にした途端、沖田の空気は明らかに変化した。
いつもの優しい沖田の仮面は剥がれ落ちてしまった。
夢の体が恐怖で固まる。
沖田は乱暴に夢の胸元を両手でわし掴みにして、タンクトップと下着を同時に引き割いた。
信じられない力だ。
「きゃ…‼︎ ……っ‼︎」
腕を捻り上げられて痛みのあまり叫び声が詰まる。
涙が溢れた。
「私…もう駄目…。吉良さん…。私…。」
夢の体から力が抜ける。
もう諦めるしかない…そう思った。
…その時。
沖田の体が不意に浮き上がり、鈍い音と共に戸口の方へぶっ飛んで行った。
夢は驚いて戸口の方を見た。
その目に、沖田の胸ぐらを掴んで拳を振り上げる吉良の姿が映った。

 

 

「…嘘。…吉良さん。」
夢は、夢でも見ているように呆然とその光景を見つめた。
「ヘヘッ…吉良さんは、自分の出番をちゃんと心得てるみたいですね…。まるで正義のヒーローだな…。」
拳を握る吉良に、沖田が言った。
抵抗するわけでもなく、沖田の体はダラリと力が抜けている。
「…消えろ。」
吉良が沖田を突き放す。
沖田は何も言わずに部屋から出て行った。

 

暗殺者 − メシア – 13 へ続く