めかかうな大人のおとぎ話

時代背景30年ほど前の少々大人のアクションラブコメディ小説です。

暗殺者 − メシア – 13

13


静まり返る部屋。
吉良はゆっくり振り向いて、夢を見た。
慌てて布団で胸を隠そうとする夢だったが、腕が痛んで布団が上がらない。
「痛ぁ…」
「おい、大丈夫か…」
吉良が、近づきかけて足を止める。
そして、不機嫌そうに言った。
「アホか!お前はっ!何の考えもなしに、のこのこ男の部屋に入ってったりするから、そんな目に会うんだぞっ!お前も一応女なんだから、ちっとは考えて行動しろ!…ったく!このガキ‼︎」
夢の頬をポロポロ涙が伝う。
安心と嬉しさと恥かしさと、色んなものがいっぺんに溢れ出して止まらない。
「吉良さん…。」
吉良は洗いたてのコートを抜いで、夢の頼りなげな肩にすっぽり被せてやった。
ぶかぶかのコートは、吉良のように温かい。
まるで目の前の吉良に抱かれているような気がした。
ひとしきり泣き終り、少し落ち着きを取り戻した夢は、唐突に吉良に訊いた。
「でも、どうして吉良さん、私がのこのこ沖田さんの部屋へ入ってったって知ってるの?」
(ギク…。)
「まさか…。最初から見てたんじゃ…。」
「人聞きの悪りぃ言い方するなっ! 入るところをチラッと見掛けただけだっ! 人をまるで覗きか何かみたいによぉ…。」
しかし、夢の目は厳しく吉良を見据えたまま動かない。
「でも、私の声は聞こえてた筈よね! こんなボロっちい建て物の中だもの、あの大声が聞こえない筈ないわっ!何で もっと早く来てくれないのっ?」
かなり苦しげな吉良。
まさか沖田との約束があったから、なかなか出て行く踏ん切りがつかなかったとも言えない。
仕方なく、吉良は適当な言い繕いをした。
「そりゃそうだが…。でもな、ほら、こればっかりは大人同志のことだし…。お前が本気で嫌がってるかどうかも…な。」
「何…それ…。どういう意味? 吉良さんにフラれたから…私が沖田さんに乗りかえようとするかもしれない…そう…思ったって…こと?」
「いや、何も…そこまでは…」
はっきり言って大失言である。
吉良は完全に夢の神経を逆なでしてしまった。
夢は勢い良く立ち上がると、吉良の真正面に立って言った。
「ええ、そーよ、そうですよ! 私は沖田さんに抱かれようと思ってわざわざ自分から部屋に入ったのっ! 吉良さんさえ邪魔しなければ全て丸く収まって、めでたしめでたしだったのよっ‼︎ それをあなたが全部ぶち壊しちゃったの…そうよ…そうなのよ……」
言っているうちに、どんどん自分が情けなくなってくる。
また涙が込み上げてきて、頭の中がぐちゃぐちゃに混乱する。
夢は、吉良のタンクトップの胸を掴んで思い切り叫んだ。
「どうして、助けに来たりするのよっ‼︎ どうして、いっつもいっつも助けに来るのっ⁈ 私のことなんて、どうでもいいんでしょっ⁈ だったら放っといてよ…‼︎ 優しくしないでよ…! 吉良さんがそんなことするから…私って…バカだから…勝手に勘違いして…私…私…」
(……!)

 

 

夢の唇が吉良にふさがれた。
吉良の唇に遮られて、夢は言葉を失くしてしまった。
思いもかけないキス…。
体が痺れて力が抜ける。
吉良はそれを支えるように、片手で夢の腰を抱き寄せた。
…信じられない。
…夢ではないだろうか。
自分の唇を包み込む、吉良の唇。
…これは現実…?
夢の瞳がゆっくり閉じる。
優しい優しい時の流れが二人を包んだ。
出きるものなら、このまま時間を止めてしまいたい…。
二人の気持ちは同じだった。
今の二人に「殺し屋」と「ターゲット」そんな隔たりは何処にもない。
先のないことが分っていても…只、愛し合う二人。
吉良は夢をそっと離すと、抱きしめたい衝動を押さえて部屋を出た。
抱きしめると壊してしまいそうだった。
夢が壊れて消えてしまいそうな気がして恐かった。
そして何より、これ以上、自分の気持ちに歯止めが掛からなくなることが恐ろしかった。

 

吉良は縁側に座り、見るともなく、ぼんやり庭を眺めていた。
昨夜の場面が景色にだぶって蘇る。
必要以上に嘲って夢を傷つけ、遠ざけようとした吉良。
しかし、それを貫き通すことさえ出来なかった。
どちらを取ってもまるで吉良らしくない…。
吉良は今まで特に女に不自由したことはなかった。
だが彼にとって"女"は酒と同じで、気晴らしの道具にしかすぎない。
近づいて来る女を抱くのも平気なら、捨てるのも平気。
何の良心の呵責も感じなかったし、もちろん執着もしなかった。
女の方もまたそういう女達だった。
自分の気持ちが傷つかない術を知っていて、決っして深入りせず、その場の快楽だけを楽しむ女、後くされのない女。
吉良の知っている女は、そういう女達だった。
吉良にとっても、そういう女は都合が良かったし、それでいいと思っていた。
だが、夢は違う。
自分の気持ちを精一杯、真っ直ぐに吉良に向けて来て、傷つくことさえ恐れない。
その癖、傷つきやすそうな瞳を揺らす。
まるで、恐いもの知らずの硝子細工だ。
危なっかしくて放っておけない…どうしてもそんな気持ちにさせられる。
だからこそ自分に近づけさせてはならない…そういう気持ちも芽生えてくる。
しかし、そう思っても、吉良自身の気持ちを押さえることが出来ない。
(一体どうしちまったんだ…! 俺は…!)
吉良はコントロールの効かくなった自分にどうしようもない苛立ちを覚えた。
そして、女のことぐらいで こんなに頭を悩ませている自分が腹立たしくてならなかった。


「吉良さん。」
庭に沖田が立っている。
吉良は目線だけを沖田に向けた。
「僕これでお暇します。吉良さんのおかげで僕すっかり悪者になっちゃいましたし、これ以上 居ても 無駄かなぁと思って…。」
興味もなさそうに吉良が応じる。
「俺が手ぇ出さなくても、お前は悪者だ。ありゃどう見ても強姦だったからな。訴えられっぞ。」
「やだなぁ。最後まで成し遂げられていれば、夢さんはちゃんと僕の虜になってましたよ。」
「すっげぇ自信だな。」
思わず吉良は苦笑した。
「当然。そうでなくちゃ、こんな仕事なかなか続きませんよ。」
軽く流しておいて、沖田が不意に真顔になる。
「吉良さん、これから、どうするつもりですか? もう夢さん殺す気はないんでしょ?」
「余計なお世話だ。」
「殺し屋から、ボディガードに転職ですか?」
吉良は初めて目線を上げて、真正面に立つ男を見た。
「夢さん、他の殺し屋にも狙われてますよね。だから吉良さん、彼女を殺す気もないのに ここに居るんでしょ?」
沖田の質問には答えず、吉良が被せて訊く。
「…お前、夢が狙われてることに気づいてたのか?」
「そりゃそーでしょ。普通に暮らしてる人が そう しょっちゅう命に関わるような事故にあったりしませんよ。で、吉良さんがやってるんじゃないとしたら、他に居る筈…ですよね。」
「まぁな。」
ヤレヤレ…そんな仕草で沖田は肩を竦めた。
「吉良さんも、もの好きですよねぇ…。ここに居たら、ややっこしいことに巻き込まれるだけなのに。夢さんのこと そんなに好きですか?」
鋭い眼が沖田を捉える。
沖田は笑顔で その視線を交して言った。
「やっぱり僕、出てった方が良さそうですね。これ以上、夢さんに ちょっかい掛けると、本当に吉良さんに殺されそうだから…。」
愛想の良い表情のまま、沖田は礼儀正しく最後の挨拶をする。
「それじゃ吉良さん、どうかお元気で。またいつかお会いしましょう。夢さんにも宜しくお伝え下さい。」
挨拶だけはきちんとする律儀な詐欺師である。
沖田が出て行った後、吉良は、今 沖田の言ったことを思い返した。
『もう、夢さん、殺す気ないんでしょ?』
『だから吉良さん、彼女を殺す気もないのに ここにいるんでしょ?』
『そんなに好きですか? 夢さんのこと。』
冷めた笑いを浮かべる。
吉良は、そのまま何も告げずに下宿を出て、その日、夜になっても戻って来なかった。

 

小さな光の集まりとなった大都市。
それを見降ろしていると、まるで自分の宝石のコレクションを並べて眺めているような気分になる。
男は窓辺に佇んでいた。

 

 

胸元で携帯電話が軽い音を立てる。
「ああ。私だ。吉良が?…そうか。…で、今夜? …ああ…いや、ちょっと待て。気が変った。消すのはもういい。…そうだ。消すのが惜しくなったのさ。…ああ。ぜひ手に入れたい。だから君には…」
その時、別室の秘書からも、デスクの電話に内線が入った。
携帯の相手を待たせておいて、男が訊く。
「何だ?」
「吉良様がお見えです。」
「分かった。少し待たせろ。」
内線を切り再び携帯に向かう。
「だから、君には…」
用件を済ませた後、男は呟いた。
「吉良か。ヤツはどう出るつもりだ…。降りるか…それとも…。」

 

暗殺者ーメシアー14 へ続く