めかかうな大人のおとぎ話

時代背景30年ほど前の少々大人のアクションラブコメディ小説です。

暗殺者 − メシア – 16

16


もうほとんど車の見当らない巨大な地下駐車場で、早川は一人先を急いでいた。
「…ったく! どいつもこいつも…‼︎」
しきりに ぼやいている。
靴音まで尖った音を立てて、駐車場に響いた。
早川は夢を待つために、この時間まで会社に残っていたのだが、そこへ現われたのは夢ではなかった。
前に軽い気持ちで手をつけた飲み屋の女。
女は酒が入っているらしく、やたらに早川に絡んで来た。
さらに続けて、吉良がこちらに向ったという情報が入って来たから堪らない。
早川はパニックに陥った。
女を早く帰して逃げ出さなければ、今度こそ本当に吉良に殺される。
完全に敵に回した殺し屋程、恐しいものもない。
しかも自分はどう考えても、吉良に好かれていない。
当然、手加減などもあり得ない。
しかし、女はしつこく管を巻き、帰ろうとはしない。
どうしようもない状況を掻い潜って、やっと何とか早川はそこから抜け出して来た。
いや、逃げ出して来たというべきだろう。
目前に車が見えた。 早川は、ほっと車に近づき、ドアを開けようとした。

 

 

こめかみに銃を突きつけられる。
「き…吉良…!」

吉良は引き金を軋ませながら、愛想なく聞いた。
「望はどこだ。死になくなかったら、今すぐ答えろ。」
「ぼ…僕が死んだら…望くんの居所は分らんぞ。こんな事も…あ…あろうかと、絶対 分らない場所に連れてったんだ。もし僕に手を出してみろ。ぼ…僕の部下が、望くんをどんな目に会わせる…か…」
内心びくびくの早川だが、人質を取っている強味があるので、かろうじて大きな口をたたく。
吉良は鼻で笑った。
「そーかよ。ま、心配すんな。後のことは、お前が死んでからオレが考える。死人にゃあ関係のねぇこった。」
痛い程、こめかみに食い込む銃口
早川の顔から血の気が引いて行く。
「…わ…分った。案内する。だから…吉良くん…短気は起こさないでくれよ!」
どんな切り札であっても、早川の小心を補うことだけは出来ないようである。

 

夢はハッと目覚めた。
頭はまだぼんやりとして、状況を把握出来ないでいるのに、目だけは吉良を捜している。
吉良の姿がどこにも見当らない。
…そうだ!
頭が働き出すと同時に夢は跳ね起きた。
望が誘拐されたのだ。
そして、自分は望を助けるために早川の所へ行こうとしていた。
「吉良さん…。」
きっと吉良は、夢の代りに望を助けに行ったのだ。
慌てて、電話台の上を確めたが、そこにあるはずのメモは失くなっていた。
やっぱりそうだ。
吉良は早川の所へ行ったに違いない。
しかし、肝心のメモがなくては後を追うことも出来ない。
「どうして、持ってっちゃうのよ! 住所ぐらい見て覚えなさいよ…もう!」
自分だって覚えていないくせに、夢は勝手なことを言った。
そのメモに書いてあったのは、早川の会社の住所だった。
当然、吉良は一目でそれが分った。
にも関わらず、メモを持ち去ったのは、むろん夢に後を追わせないためである。
夢は取りあえず、着換えを済ませた。
行き先は分らなくても、じっとしてはいられない。
もしかしたら早川からもう一度、連絡が入るかもしれない、
準備だけはしておこう、そう思ったのだ。
きちんとしたスーツを着て、髪を整える。
久しぶりに化粧もした。
早川にだけは、みすぼらしい姿を見られたくなかった。
それは夢のプライドであり、そして、ほんの僅かな女心でもあった。
「夢さぁーん‼︎」
その時、表で声がした。
玄関の格子戸を外から叩く音が聞こえる。
「沖田さん…?」
夢は、鍵を外して戸を開いた。
沖田が息を切らせて飛び込んでくる。
かなり慌てた様子だった。
「望くん、さらわれたんだって? さっき吉良さんに偶然会って聞いたんだけど…。」
「吉良さんに…? 何処で? 何処で吉良さんに会ったのっ?」
それを手掛かりにすれば、吉良と望の居所が分るかもしれない。
夢は、沖田との間の気まずさなど忘れて、沖田に詰め寄った。
「え…ええと…口では説明しにくいな…。」
「じゃあ、いいわ! そこへ私を連れてって!」
夢の勢いに圧倒されつつ、沖田が夢を先導して行く。
沖田はまず、広い通りまで行ってタクシーを捕まえた。
それに夢を乗せ、自分も後から乗込み、行き先を告げる。
「ええと…」
たどたどしい説明だった。
それでも運転手には伝わったらしく、車が走り出す。
どんどんスピードの上がるタクシーの中で、何となく夢は小首を傾げていた。
(早川さんが言ってた住所、そんな遠かったかな…?)

早川の車は、港の脇にある工場地帯に入って行った。
(…ったく。何だってこんな遠くを監禁場所に選びやがるんだ。自分だって不便だろうに…。)
吉良がぶつぶつ思っているうちに、車は廃工場の前で止まる。
閑散とした寂れた感じは、いかにも人質を隠す場所らしい。
早川はきっと刑事ドラマが好きなのだろう…。 呆れ気味に吉良は思った。
(物事、形から入りたいタイプなわけだな。)どうでもいいことまで分析する。
工場の扉が、ギィギィ軋みながら雰囲気を出して開くと、中には、縛り上げられた望と、それを囲むように立つ、黒ずくめの男が5、6人いた。
ギャング風に装うその男達、どうやら早川の会社の社員らしい。
黒のスーツは、よく見ると防虫剤の匂いのしてきそうな礼服だった。
押し入れから、引っ張り出して来たってか…? …と吉良。
本物のギャングにでもなったつもりの男から、不安そうに落ち着かない男、皆それぞれではあるが、全員一様に汗だくになっていた。
そりゃそうだ。
真夏の閉め切った工場の中、息のつまりそうな黒いスーツを着込んで、暑くないわけがない。おまけに慣れない犯罪の片棒を担がされて緊張している。
汗も出るだろう。
吉良は何だかやる気が萎んでいくのを感じた。
望を助ける目的があるので、そんなことも言っていられないのだが…。
「子どもの命が惜しければ銃を捨てろ!」
吉良に銃を突きつけられながら、早川が言った。
吉良は望を囲む男たちを見回して、素朴な疑問を口にする。
「で、どうやって望を殺すつもりなんだ?」
それも当然。
何しろ誰一人、武器らしい物を持っていないのだ。
男たちに動揺が広がる。

 

 

礼服はともかく、武器を持って来いなどというのは回覧で回ってこなかった。
そんな風にでも言いた気な様子。
早川が慌てて叫ぶ。
「く…首を締めて…殺すぞ!」
呆れ返る吉良。

(何だって、こんなに計画性がないんだ…ナメてんのか。)
「あのなぁ…俺、銃持ってんだぞ。望の首締めてる間にお前ら皆殺しにしちまうぞ!」
益々、男達に動揺が広がる。
吉良は苛立った。
手応えがなさ過ぎる。
簡単過ぎてつまらないという意味ではなく、何だか おかしいのだ。
ヤツはどうした? あのやたらに手の込んだ仕かけの好きなスナイパー。 何故いない?
望をさらった時点で仕事は終りか…?…いや。

嫌な予感がする....。早くことを済ませ、下宿へ戻らなければ…。
吉良はいきなり、早川を突き飛ばすと望の方へ向った。
「どけっ‼︎」
吉良の一喝で望を囲んでいた男達が、クモの子を散らすように散り散りに物影へ逃げ込む。
吉良はもどかしそうにする望のロープを外し、猿ぐつわを取ってやった。
口が聞けるようになった途端、望が叫ぶ。
「沖田だ‼︎ おっちゃん、沖田がオレをここへ連れて来たんだっ‼︎ んで今、母ちゃんとこへ…」
「またお会い出来て光栄ですよ、吉良さん。」
入口に、相変らず愛想のいい笑顔を浮かべた沖田が立っている。
吉良は大して驚くふうもなく、ゆっくり振り向いた。
「よう...。 えらく遅いから、もう来ないのかと思ったぜ…。」
「いえいえ、僕は吉良さんと違って、途中で仕事放り出したりしませんよ。あなたのお節介のせいで一つ仕事、増えちゃったんですけどね…。残業手当てもらわなくちゃ。」
その時、ハイヒールの靴音が忙しなく響いて来た。
夢の声。
「沖田さん! 待ってよ! この靴じゃ、そんな早く歩けませんよ!」
吉良が大声で言う。
「来るなっ‼︎ 夢っ‼︎ そのまま逃げろっ‼︎」
「え?」
きょとんとした様子で、夢が顔を出した。
すかさず沖田が夢の肩を抱く。
「あの…ちょっと…!」
「せっかく迎えに行ったのに、そんな簡単に帰すわけにはいきませんよ。…ねえ、夢さん。」
何がどうなっているのか さっぱり分からず、戸惑う夢。
「迎え…って? …吉良さん?」
不安そうに吉良を見る。
「…沖田!」
激しく睨みつける吉良を小バカにするように沖田が言う。
「夢さんを一人で下宿に残しておくなんて、安易過ぎましたね。それとも、夢さんを傷つけるのが嫌で連れて来れなかったのかな? どうせ早川さんと夢さんを会わせたくない…とか、そういう緩いこと考えたんでしょ?」
「やめろ…。」
「まるっきり牙の退化しちゃった獣みたいだ…今の吉良さんは…。」
「ねえ…どういうこと?…あなたは…一体…」
望が再び叫んだ。
「こいつが、オレをここに連れて来たんだっ‼︎ 沖田は悪者なんだよ! 母ちゃんっ‼︎」
最も分りやすい解説だったようで、夢は弾かれたように沖田の腕から飛び出した。
そして、吉良の所へ…行こうとする夢の腕を沖田が荒々しく掴んだ。
「きゃっ‼︎ あーっ‼︎‼︎」
掴まれた右腕が背中で捻り上げられる。
沖田は薄笑いを浮かべながら言った。
「まだ、傷、痛みます? 可哀そうに…。吉良さんが銃を捨ててくれたら、すぐ放してあげますからね。」
優しそうな言葉とは裏腹に、捻りつける腕にどんどん力が加わっていく。
「くう…っ!」
いくら歯を食い縛っても思わず声が出てしまう。
夢の脳裏に、自分を襲おうとした時の沖田の目と、風呂場の恐怖が蘇った。
(この人だ…! この人が私をお風呂場に閉じ込めたんだ…!)
「やめろっ‼︎」
吉良の声が飛ぶ。
「分った。銃を捨てるから、夢の手を放せ!」
「ダメよっ‼︎ そんなことしたら、吉良さん、殺されちゃう! もういいから、望と一緒に帰ってっ‼︎」
必死で訴える夢の背中を不意に沖田が押さえつけた。
そのままの状態で、右腕を 普通 曲らない方向へ勢いよく、引き上げる。
「きゃあぁぁ…‼︎」

あまりの激痛に叫び声を上げる夢。
沖田はその声を楽しそうに聞きながら言った。
「余計なお喋り出来ないように、この腕、折っちゃいましょうか? 痛くて喋る気しなくなっちゃいますよ…きっと。」
「やめろっつってんだろっ‼︎」
沖田に叫んだ後、吉良は夢に言う。
「黙ってろ! こいつのことだ。平気で腕ぐらい折るぞ。」
潔く吉良が銃を投げる。
そうしながら、傍の望に小声で言った。
「隙見て逃げろ。自分の身は自分で守るんだ。走り出したら、死んでも振り向くな。分ったな。」
じっと吉良を見つめた後、望はそっと頷いた。
「さすが吉良さん。何があっても動じないって感じですね。」
「お前にゃ、負けるけどな。オレは何枚も仮面持ってねえから。」
沖田が唇の端を歪めて笑う。
そして、乱暴に夢の腕を放して早川の方へ押し出した。
すっかり感覚のなくなった腕。
夢は抵抗する力もなく、なされるがままの状態だった。
「確かに、夢さんはお引き渡ししましたよ。後は、ぼくの好きにさせてもらって構いませんか?」
早川は沖田の残忍さを見て怯んでしまっている様子で、やたら低姿勢に振舞う。
「ああ、もちろん。よくやってくれたね。助かったよ。後は、君の自由にしてくれて結構だよ。」
これが、あの早川なのか…夢は何んだか情けない気分になった。
「ちょっと待って。好きにするってどういうこと? これ以上、何をしようっていうの? 私に用があるんでしょ? だったら…」
いきなり夢の目の前にナイフが飛び出す。
それを喉元に突き付けられて夢は息を飲んだ。
沖田がナイフで夢の顎を掬い上げながら、早川に言う。
「この人、あなたより遥かに根性ありますからね。これでちゃんと大人しくさせておいてもらえますか? 何しろ僕の送り込んだワンちゃんに自分の腕、噛ませちゃう人だから。」
(ワンちゃん…⁈)
「あ…あの犬も…あなたが…
さすがに夢の声が上ずった。
(何て恐い人なの…!)
「そ。だからね、僕、犬の敵打ちもしなくちゃならないんです。早川さん、お願いします♪ 」
沖田が早川にナイフを渡す。
こちらで話しをしながらも、沖田の目はずっと吉良を見据えていた。
全く油断がない。
「じゃ…始めましょうか…。」
何をしようと言うのだ。
夢は不安で居た堪れなくて、今すぐにでも飛び出して行きたい気分だった。
しかし、飛び出したくても、後ろから絡みつく腕と、喉元の鋭いナイフがそれをさせまいとしている。
…そして、夢がそういう状態である限り、吉良もまた抵抗出来ないのだ。
自分さえ来なければ…そんな思いが、夢の胸を締めつけた。
「ちょっと僕、面白いこと考えたんで、あの天井のクレーン降ろしてもらえます? それで、吉良さんのこと、吊るしちゃって下さい。」
沖田の指示で黒服の男たちが動き出す。
そのどさくさに吉良は後ろ手で望に合図した。(今だ、逃げろ)
山積みされたドラム缶の影へ、こっそり身を隠す望。
(上手く逃げろよ…。)吉良は胸の中で呟いた。

 

暗殺者ーメシアー17 へ続く